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2024年10月6日

信仰の初めの一歩』

マタイの福音書 18:23~35


(起) マタイ18章23~35節から、1万タラントの負債を(かか)えた(しもべ)の譬えを通して、

「罪の返済は不可能という事実を認め、全能主に無条件降伏する事」を学びたいと思います。


(承)さて、この譬えの初めに、「天の御国は、王が自分の(しもべ)たちと清算をするようなものです」

と言われています。これは、信じた者たちが、全能主の前で「罪の清算をする事」と理解して良いと思い

ます
。そこで、1万タラントの負債のある(しもべ)が、王の前で清算を求められたのですが、彼は支払う

ものを持っていなかった為、王はその人自身と妻子と、持ち物全部を売って返すように命じました。

すると、(しもべ)はひれ伏して哀願し、「王よ。どうぞご猶予下さい。そうすれば全部お返しします」

言ったのです。しかし、これは実に思い上がった、言い返しです。何故なら、1万タラントという額は

(1タラントは6千デナリで、1デナリは当時の一日分の給料です。分かりやすく、1デナリを1万円

とすると、1タラントは6千万円、1万タラントは6千億円になります。)6千億円分の借金になります

それを毎日働いて返す場合には、一年間の返済額が365万円です。すると、16万年かかります。

何と死ぬまで返済を続けても、返済が不可能な額でした。しかし、それでも彼は自分のプライドに立ち、

「どうぞご猶予下さい。そうすれば全部お返しします」と、実に身の程知らずの返答をしたのです。

それでも王は、「彼を憐れに思って赦してやり、その負債を免除してやる」と、温情を表しました。

ところが、(しもべ)は王の赦免を受けたにも(かか)わらず、自分に僅かばかりの債務を持った者を捕らえて

首を絞め、「借金を返せ」と獄に入れたのです。すると、その話しを聞いた王は、(しもべ)を捕らえ、

「お前は、ひたすら私に願ったので、全部赦して()ったのだ。それなのに、お前は仲間のものから

厳しく取り立てた」
と怒り、負債の全てを支払うまで、獄吏(ごくり)に引き渡しました。本来ならこの

(しもべ)は、「完全にお手上げ」でしたから、「申し訳ありませんでした。いくら働いてもお返しする

事ができません。どんな罰も受けます」と、無条件降伏するへりくだりの心しか持てなかったはずです。

それなのに、仲間のものには厳しい取り立てをして、王の怒りを買いました。それは、彼の心の中に、

「王よ。どうぞご猶予下さい。そうすれば全部お返しします」
という思い上がった心を持っていたから

です。彼の負債は、天文学的な負債です。それなのに、自分の力に頼って返そうとし、まだ自分の

努力で返済できるという思い()がりがあったのです
ということは、彼は、「自分の負債額が

いかばかりか」ということを軽く考えていたということです。
ですから、彼は本心から、ひれ伏して

哀願したのではありませんでした。ここに、彼の偽りの(へりくだ)りであったことが、表に出たのです。

そんな彼を、何故王が赦したのでしょうか。それは、16万年掛かっても到底返せるような額では

なかったからです。彼には、とてつもない額の負債であったからです。しかし、彼の思い上がりが、

「すべて返します」と言ってしまったのです。そこに、人間の面子を重んじる恐ろしい罪があるのです。

もし、心からの(へりくだ)った心を素直に現していたなら、王の赦しを心から感謝出来たでしょう。

本来なら、あり得ない赦しですが、この王は、負債を一言で赦して()ったのです。その赦しの

言葉は、(しもべ)の腹の底に染み渡り、感謝しか出て来なかった筈です。

(転)この譬えから、私たちは何を学べるでしょうか?それは、私たちの罪の負債が、永遠に返せない

ほどの額になっており、その負債はいくら努力しても、到底返せない程になっているということです。


ですから、全能主は、天にまで届くほどの罪という債務の弁済を人間に求めても、払い切れない額で

ある為、キリストを身代わりに立てて支払わせ、私たちを責め立てている債務証書を、一切合切無効に

して下さったのです。
こんな(すご)い、贖いの救いが、現実にあるのでしょうか?しかし、人には

決して出来ない事を、全能主はこの歴史上の事実として()って下さったのです。
しかし、人間は、

自分の罪の債務を軽く考えて、全能主の計り知れない罪の赦しを、心から感謝していません。それは、

この1万タラントの僕と同じように、自分にとって、とてつもない罪の債務を軽んじて、自分の正しい

行いによって支払えると(いき)がっているからです。そして、赦しの重みを理解していないのです。

ですから、信じた後でも簡単に信仰から離れ、()ねた態度を現して、信じる行為を停止し、ストラ

イキを犯してへりくだろうとしないのです。それは、自分の犯してきた罪に対して、完全に無条件降伏

していない、いい加減さがあるからです。
それは、罪を軽く考え、自分の罪を棚上げにして、罪の罪責感を

直視していない、身勝手な「お一人様根性」です。そういう者が、他人に対して厳しい取り立てをして、

王の激しい怒りを買ったように、全能主も私たちに対して、激しく怒り、負債を全て支払うまで獄吏に

引き渡されます。(マタイ18:34)
それは、自分が天文学的な罪の数々を棚上げして、全能主のして

下さった無条件の罪の赦しを喜んでいないからです。私たちは、キリストの身代わりの代価によって、

罪の債務証書を完全に破棄され、その証書が十字架に釘付けにされました。ですから、過去、現在、

未来に渡って、罪の赦しを頂いているのです。それが心底分かったら、全能主の恩を忘れて、他人に

対しては厳しい取り立てをする、私たちのその根深い罪を、決して曖昧にしてはならないのです。


(結)では、私達はどうすべきでしょうか。私達もこの1万タラントの負債を抱えた(しもべ)と全く

同じ者です。私達は過去にどれだけの罪を犯し、どれだけの罪の負債があるでしょうか。一生働いても

返し切れないほどの罪の借金があるのです。それを、自分自身の努力で何とかする事ができるで

しょうか。たとえ、「今日から、聖書に書いてある戒めを全部守ります」と決心したとしても、「本当に

死ぬまで、ずっと全能主の戒めを守って行けるか」と問われたら、それは不可能です。罪の借金は

返せないどころか増え続けて行きます。それなら、その事実を認めて、「全能主の前に、完全に

無条件降伏して、どんな仕打ちも甘んじて受けていきます」
と、その全てのリスクを負うという

覚悟をもって、心を定めることです。私達は処分を受けたくないために、見栄を張って、わずか

ばかりの自分の能力に頼り、「少し猶予を下さい。何とかしますから」といって逃げ続けるのです。

そんな惨めな逃避は、もう止めましょう。「できないなら、できない」という事実を認め、「ただ、

申し訳ありません」と頭を下げ、無条件降伏するしかないのです。もう、悟って下さい。その上で、

全能主から「もう赦してやる」と声をかけていただいたなら、どれだけ感謝でしょうか。こんな

すごい赦しをいただいたなら、私達はただ遜るだけです。ですから、「罪の返済は不可能という

事実を認め、全能主に無条件降伏して、真実な信仰を始め出しましょう。」


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