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2024年1月28日

信じる者に働く全能主の力が、
いかに偉大なものかを味わう

ルカの福音書 19:11~27


(起) ミナの譬え(ルカ19:11~27)から、信仰に立つことによって「信じる者に働く全能主の

力が、如何に偉大なものであるか
を味わっていく事」を学んで行きたいと思います。


(承)さて、イエス様がエルサレムに入城される日が近づいた為、人々は「全能主の国がたちまち出現

する」と期待したので、イエス様はミナの譬えから「地上で報いを受けるのではなく」「天で御国の

報いを受ける信仰」
について教えようと、「この地上で主を信じる信仰を如何に働かせて行くべきか」

説かれました。
特にユダヤ人達は、この地上の御国だけに心を向け、この地上で報いを受ける事を第一に

考えていたからです。しかし、そうではなく「天の御国で報いを受ける事が大切なのだよ」と、ミナの

譬えを通して語られたのです。まず初めに、「身分の高い人が、王位を受けて帰って来るために、遠い

所へ旅立つことになった」という設定で話されています。それは「イエス様が天に帰って行かれて、

王位を受けた後で、もう一度この地上においでになる事」を前提として語られた譬えです。そこでまず、

旅立つ前に「10人のしもべを呼び、10ミナを渡して、これで商売をしなさい。」と言われました。

この「ミナ」とは信仰の事で、1人1ミナずつ、みな同じ信じる信仰を持った者が、どう信仰を働かせて

結果を出すかを見ようとされたのです。即ち、イエス様が天に帰っておられる間、地上にあってクリス

チャンがどのように信仰を働かせ、どれだけ儲けたかで、報いが与えられるという事です。
ということは

信仰は天で働かせるものではなく、この罪の世の現場で、如何に信仰を働かせたかを問われるのです。


この譬えの中では、与えられた信仰を働かせて10ミナ儲けた者もいれば、与えられた信仰を全く

用いず、それをふくさに包んでしまっておいた者もいました。当然、イエス様にとって、信仰を働か

せれば働かせた者ほど喜ばれ、「わたしは、お前たちのために十字架にかかって、苦しみを担った

甲斐があった」とお喜びになって、「10の町を任せます」と言われたのです。ところが、与えられた

信仰を全く働かせなかった者にはガッカリされ、「わたしは、お前の為に十字架にかかり、どんなに

苦しんだことか。しかし、お前は与えられた信仰を用いなかった。だから、お前の信仰を取り上げ、

10ミナ持っている者に与える」と言われたのです。


(転)では、この地上にあって「信仰を働かせ、儲けて行くための秘訣」は何でしょうか。それは、

地上での自分のこだわりを捨てて、全能主の国と全能主の義を、まず第一に求めて行く事です。
ルカ

18章29、30節を見ますと、「全能主の御国の為に、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者で、この

時代において、その幾倍かを返してもらわない者はない」とあります。地上でのこだわりを捨て、与え

られた1ミナの信仰を、自分の為にではなく、全能主の為に本気で使えば、全能主も本気で応えて

下さいます。
即ち、「全能主の力が、信じる者にとって如何に偉大なものであるか」(エペソ1:

19)を味わわせて下さる
という事です。そして、「来るべき世において永遠のいのちを受けない

者はない」とある通り、その信仰によって最終的には「天の御国を儲ける」のです。それは、私達の

努力で儲けるものではなく、全能主の力が信仰に働いて、主が成し遂げて下さった事によって儲け

させて頂いた報いです。
即ち、全てが全能主にかかっているという事です。ですから、私達は自分

自身に根拠を置き、自分の弱さに怯える必要はありません。人間は皆、自分に自信を持てない弱い

部分を抱え込んでいる者です。その為、自分自身の弱さに(おび)え「これは得意だからやるけど、

これは苦手だからやらない」という感情の関所を盾にして、信仰を働かせようとしないのです。

それは、信仰をふくさに包んでしまっておく事と同じです。私達は、感情の関所を破り、言われる

事を素直な心でそのまま受け留め、心の中に入れて「全能主に祈って助けて貰おう」という信仰の心を

働かせ、全能主がどんなに素晴らしい事を成して下さったかを、この罪の世の現場で味わって行く

のです。


(結)私達は、せっかく天の御国に入れて頂くなら、この罪の世の現場で精一杯信仰を働かせて、

10ミナ儲けたいと思いませんか?「儲ける」という字は、よく見ると「信者」という言葉から成り

立っています。その言葉通り、信じる者は儲けさせて頂けるのです。この儲ける力は、自分の努力の

働きではありません。
そうではなく、主を信頼する信仰を如何に働かせるかに掛かっているのです。

ですから、与えられた1ミナの信仰をちっぽけだと思ってはいけません。それは使うために与えられた

ものですから、精一杯「信仰を働かせて行く」べきです。どうか、どこまでもまず全能主の国と全能

主の義を第一に求め、損得抜きで全能主に信頼して任せ切る、その信仰を働かせて行きましょう。全能

主は、そういう者に対しては、この時代においても幾倍かを返して下さいます。全能主はそれが出来る

お方です。私達は、天に心を向け、この罪の世の現場で「精一杯信仰を働かせて」、全能主の絶対的な

力が、信じる者にとって如何に偉大なものであるか
を味わって行こうではありませんか。


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