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2024年2月4日

永遠に生きておられる全能主に対して生きる者』

ルカの福音書 20:37~38


(起) ルカ伝20章37、38節の御言葉から、「永遠に生きておられる全能主に対して生きる者

された、クリスチャンの信仰の在り方」について学んで行きたいと思います。


(承)さて、ルカ20章33節では、復活を信じていなかったサドカイ人達が、「7人の夫に嫁いだ

女が復活した場合、彼女は誰の妻になるのですか」という質問をイエス様に投げかけました。彼らは、

イエス様の言葉尻を捕えて訴える為にその質問をしたのです。そこでイエス様は、「死者の中から復活

して、御国に入ることができる人は、娶ったり、嫁いだりすることはありません。彼らは御使いのよう

であり、もう死ぬことはないのです」(ルカ20:35~36)
と明確に答えられました。更に、死者の

復活
については、モーセが柴の箇所で、ヤハウェを「アブラハムの全能主、イサクの全能主、ヤコブの

全能主」と呼んで、死人が甦らされていることを示しました。即ち、「全能主は死んだ者の全能主では

なく、生きている者の全能主」であるということです。ということは、「キリストの救いに預かった

クリスチャンは、死んでも復活し、全能主に対して生きて行く者」(ルカ20:38)
とされている

ということです。これは、私達にとって凄い特権です。私達は、イエス・キリストの十字架の贖いを

信じた時に、イエス様の父なる全能主を知りました。そして、父なるヤハウェが、全世界の全権を握って

おられる絶対的なお方で、永遠に生きておられるお方だと知ったのです。ということは、「全能主が

永遠に生きておられる以上、私達はたとえこの地上で命を失ったとしても、復活して全能主と共に永遠に

生きて行ける
という事です。私達は、イエス様の贖いを通してその特権を頂いたのです。


(転)では、私達は「復活して全能主と共に永遠に生きて行ける」という、その特権をいつも覚えて

生きているでしょうか。私達の地上の日々は、世界の支配者である悪魔が牛耳(ぎゅうじ)っています。そして、

日々その悪魔の訴えの中で心を弱らせ、ストレスを抱いて、永遠の命に預かっている者としては、ほど

遠い生き方をしています。ですから、悪魔は、いつもクリスチャンに勝ち誇り、「お前は、肉的な心を

抱き、嫌らしい罪ばかり犯し、何も変わっていないじゃないか。役立たずのお前が、本当に救われて

いると言えるのか」と言って、私達を訴え、惑わし、信じる信仰を馬鹿にして来るのです。それは、

私達が悪魔が活発に働いている世の、ど真ん中で生きているからです。
しかも、悪魔は目に見えない霊

ですから、その訴えから逃げようと思っても逃げられません。また、追い払っても、またやって来ます。

ですから、私たちは「悪魔が支配する世界に生きている」という、やっかいな現実をはっきりと認める

必要があります。なぜなら、私達は悪魔の働きが、日々起こって来る日常の中にあっても、「キリストに

対して生きている特権を貰っている者」という立場があるからです
。ですから、私達はどんなに罪深い

者であろうと、また弱い人間であろうと、イエス様の贖いを通して「キリストに対して生きている者と

されている事実を認め続けなさい」(ロマ6:11)
と言われているのです。即ち、私達が信じたイエス

様の十字架の贖いは、アオリスト形ですから、たとえエバの子孫として、生まれながらに魔物を抱えて

いる者であっても、既に罪の代価が支払われていますので、救われた者として生きて行っていいのです。

つまり、「私達は、悪魔に支配される者として生きていくのではなく、キリストにあって全能主と結び

つき、永遠の命を頂いた者として、生き生きと生きて行っていい
という事です。それを認め続けて行く

事が私達の信仰です
。また、そういう信仰的な物の見方をして、「聖書は正しい、全能主は正しい、

イエス様は正しい」と信じて行くことが、私達の正しい信仰の在り方なのです。


(結)ですから、「私達は、自分の力で生きているのではなく、永遠に生きておられる全能主の力で

生きていく者である」事を認め続けて下さい。そして、その立場にある者としての考え方を抱き、

その意識から出る「信仰的な言葉」を、いつも口に出すのです。すると、その信仰的な言葉は、

周りのクリスチャンを励まし、自分自身の信仰も元気にします。
このことは、自分がアオリストの

救いを頂いて、永遠に生きておられる全能主に対して生きていることを証し、「主に委ね、信頼して

行こう」という、信仰的な生き方を地上の現場で現して行くことになります。すると、この行動に

よる証と、心の底から出て来る言葉によって、信仰の友と家族に全能主の存在を示し、信じる心を

共有して行けるようになるのです。どうか、「聖書は正しい、イエス様は正しい、全能主は正しい」

と確信し、自信を持って聖書が語っている言葉の中で生きて行きましょう。それが、永遠に生きて

おられる全能主に対して生きる者とされた
私達の信仰の在り方です。


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