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2023年9月17日

クリスチャンの生き方は、聖書を通して、
地上の考え方とは全く違った次元の考え方に改めて行く事

マタイの福音書 8:23~27


(起) イエス様が嵐を鎮められたマタイの福音書8章から、「聖書を通して、地上の考え方とは全く

違った次元の考え方に改めて行くのが、クリスチャンの生き方であること」
を学んで行きたいと思います。


(承) さて、イエス様と弟子たちが舟に乗り込むと、突然激しい暴風が起こり、波に呑まれそうになって

しまいました。弟子たちはその状況に恐れを感じ、眠っていたイエス様を起こして「主よ!お助け下さい。

私たちは死にそうです」
と叫びました。ところが、イエス様は(おび)えている弟子たちを一蹴(いっしゅう)し、

「なぜ怖がるのか。信じる心の薄い者たちよ」叱られ、弟子たちの叫びを完璧にはねつけられたの

です
。このイエス様の感覚は、地上の人間の常識とは全くかけ離れており、次元が違います。実は、聖書

にはこのような箇所がたくさんあるのです。


(転) では、私達クリスチャンは、このような聖書の箇所を読んで、この地上で歩んで行く時、どの

ような事を心掛けていけば良いのかを、考えて行きたいと思います
。一般的には、この世の人々にとって、

聖書の内容は突拍子(とっぴょうし)もなく、実に不思議で、この世の常識から()け離れています。ですから、

つい読み流してしまう所が一杯あります。しかし、クリスチャンにとっては聖書はすべて正しいの

ですから、イエス様が語られた事や、行われた事は全てそのまま受け止めて行くべきものです
例えば

主に従おうとイエス様のところに来た青年は、「親の葬儀が終わってから従います」と言いました。

ところが、イエス様は「死人を葬ることは、死人に任せておきなさい」と言われ、「あなたはわたしに

従ってきなさい」と言われたのです。この主の発言は、地上の常識を無視された言葉です。しかし、天の

御国に入れられることを知ったクリスチャンなら、これは当然のことで、むしろ、この世の常識的な判断に

捕らわれることが間違っているのです
また、暴風が起こって波に呑まれそうになった時、弟子たちは

「主よ!お助け下さい」と言いました。しかし、主は「何故怖がるのか、信じる心の薄い者たちよ!」と

言って、怖がった弟子達を戒められました。そして、風と湖を叱りつけると、大凪になりました。これは、

実際の出来事ですから、イエス様の言葉をそのまま受け取って、信じる心を持つことが、正しい考え方

です
。なぜなら、クリスチャンは、自分の命の出所(でどころ)を知った者であり、未信者のように、「人間は猿

から進化してきた命だ」という考えは、全く論理的でないことを知ったからです。
「進化」という事は

「たまたま偶然にこの地上に生まれてきた」という仮説であり、証明された事実ではありません。それは、

最近のノーベル賞学者が、証言しています。彼は、「進化論はあくまで仮説であって、証明された事実では

ない」
と訴えています。人間の身体は、本来(すご)叡智(えいち)によって、隅々まで論理的に創られて

います。ですから、私たち自身の体の仕組みを見て行きますと、この命は決して偶然に降って湧いた

ような仕組みではありません。例えば、年寄りが朝起きて食事をする時、喉が乾燥して食道が乾いて

いると、食べ物が胃の方へ降りていかずに、途中で詰まってしまう事があります。本来なら、蠕動(ぜんどう)

運動という働きがあって、食べた物はどんどん胃の方へ送られて行くのですが、蠕動運動の働きが鈍く

なって来ると、降りて行かなくなるのです。すると、食物が喉に詰まって、すごく苦しい経験をします。

健康なときは、食べた物が胃に降りて行くのは当然の事だと思っていましたが、もし、その仕組みが

偶然に出来たものなら、いい加減な仕組みでしかなかったでしょう。そして、食事をする度毎に、苦しみを

味わい、食べる事が苦痛になってしまいます。私達は日々、当たり前のように生活していますが、決して

当たり前の仕組みではないのです。私達の体は、実に隅々まで考えられて、すばらしく創られています。

ですから、決して偶然の産物ではなく、全能主の叡智によって仕組まれた、栄光の身体なのです
。その

創造主はイエス様です。聖書は、私達の命が全能主の創造の作品であると証言しています。そのお方は

この自然界の仕組みも、人の住む環境も創造されました。ですから、当然、イエス様は暴風が起こる

仕組みもご存知であり、その暴風に命じて(なぎ)にすることも出来ます。その全てをご存知のお方が、

「怖がる必要はない」と言われたのです。ならば、そのお方に100%信頼して、お任せすれば、たとえ

湖の上で暴風が起こったとしても、何も恐れる事はありません
クリスチャンの生き方とは、そういう

ものです。
弟子たちは、嵐を鎮められたイエス様を見て、「なんと(すご)い方だろう。風も湖も従わせる

とは」と言って驚きましたが、今の私達にとっては、これは常識なのです。風も湖も従わせるお方が

いなければ、私達の命の存在はあり得なかったからです
。ですから、クリスチャンは、聖書が主張する

その考え方に、同意していくべきです。
そして、物事の見方は、全能主から見ていくのが、クリスチャンの

常識になっていくべきです。その常識は、天的な常識です。ですから、今この地上で生きていても、

天に国籍を持つクリスチャンは、地上では非常識と言われようが、「この世は私達に対して、十字架に

付けられ、私達もこの世に対して十字架に付けられました」(ガラテヤ6:14)とあるように、
世に

対して死んだ者ですから、世の常識に捕らわれない生き方が正しいのです。
ですから、クリスチャンは、

天に国籍を持った者として、霊的な常識の中で物事を考えて行くべきです。即ち、この世の法則を超えた、

何でもおできになる全能主が、世界を支配していることを受け止めた生き方をすべきです。だから、

何事も私達の地上的なレベルで、判断してはいけません
。また、自分自身に対しても、「自分はこれが

できるが、これは出来ない」と決め付けてはいけません。それを決められるのは、私達の命を造られた

イエス様であり、父なる全能主です。ですから、人間が考えられる通りの事しか起きないと、決めつけては

いけないのです。


(結) どうか、聖書を通して、この見方を自分のものとし、地上の常識に捕らわれている自分の

考えを改めて下さい
。イエス様は、「自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしに

ふさわしい者ではない」と言われました。それは、「主の為ならば、命を捨ててもいい」という事

です。こういう考え方は、この地上ではありえません。しかし、信じた者にとっては、この地上の

命は失ってもいいのです。なぜなら、天に私達の国籍があるからです。聖書は、全て、その次元で

書かれているのです。
ですから、私達は、地上の常識で、物事を考えて行く頭の使い方を、そっくり

変えていかなければ成りません。
どうか、主を信じたクリスチャンなら、天地の創造主が、「怖がる

必要はない」と言われたのですから、そのお方に100%信頼してお任せして行きましょう。そう

すれば、たとえ湖の上で暴風が起こったとしても、何も恐れる事はありません。クリスチャンの

生き方とは、そういうものです
。弟子たちは、嵐を鎮められたイエス様を見て、「風も湖も従わせる

お方だ」と信じたのです。この次元に心を向けて行きましょう。


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