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2023年9月10日

魔物の声を完全に否定し、全能主にのみ仕えたイエス様

マタイの福音書 4:1~11


(起) マタイ4章1~11節のイエス様の荒野の試みの記事から、「たとえ魔物の声が聞こえ

ても、
それを完全に否定し、全能主のみに仕えて行ったイエス様」について学んで行きたいと思い

ます。


(承)さて、イエス様は悪魔の試みを受けるために荒野に行かれたのですが、1節をよく読みますと

「御霊によって荒野に連れ出された」とあります。ですから、イエス様が自ら進んで悪魔の試みを

受けるために荒野に行かれたわけではなく、全能主がイエス様を荒野に連れ出されたのです。そして、

四十日四十夜断食をした後のフラフラの状態のイエス様に、あえて悪魔を送って試みたという事

です。なぜ全能主がそんな事をする
必要があったのでしょうかそれは、これからやって来る十字

架の過酷な苦しみにイエス様が耐えられるかどうかを見るためです。
先週も学んだように、イエス

様はマリヤから生まれた事によって、マリヤの遺伝子を
受け継ぎ、私たちと同じ罪深い肉の姿を

(にな)
ってこの地上に来られました。決して、断食しても弱らないような体を持ってこの地上に

来られたのではありません
「イエスは、民の罪を贖うために、あらゆる点において兄弟たちと

同じようにならなければなりませんでした」(ヘブル2:17)
とある通り、イエス様はあらゆる面に

おいて
私たちと同じ者となって、私たちの罪の報いを十字架上で受けようとして下さっていたの

です
。しかし、もしそこでイエス様が逃げてしまわれたら、全能主の計画が頓挫(とんざ)してしまいます。

だから、全能主は十字架の
前に、イエス様をわざわざ荒野に送って、最後まで過酷な苦しみに耐えて

くれるかどうかを、ここで試された
というわけです


(転)では、その悪魔の試みに対して、イエス様がどのように勝利されて行ったのか、見て行きま

しょう。まず悪魔は、「もしあなたが全能主の子なら、石がパンになるように命じなさい」と言って

イエス様を誘惑しました。
はっきり言って、イエス様は石をパンにする事はできました。なぜなら、五千

人の人々にパンを与えられたから
です。しかし、今はあえて、全能主の子であっても、人の子の姿を

(にな)
われた自分の立場を明確にする必要がありました。なぜなら、イエス様はマリヤの肉を荷って

いますから、当然、空腹の苦しみを味わっておられ
ましたが、イエス様が人間の肉を取って来られた

理由が、同じ肉を持っている人間の罪の身代わりとなる為で
あり、罪人の贖いをすることが目的でした

ので
人間の姿を取られたことの意味を否定されたくなかったのです。ですから、人の肉の弱さを極限

まで味わっていても、「人はパンだけで生きるものではない。全能主の口から
出る一つ一つの言で

生きるのです」
と言われ、まず人は、全能主に繋がった中で生きて行くことが、人間の命の目的である

ことをはっきりと示されて、悪魔を退けたのです
次に悪魔は、イエス様を都に連れて行き、宮の

頂に立たせて、「もし、あなたが全能主の子なら、下へ飛び降りてみなさい。『全能主があなたの

ために御使い
たちに命じて、あなたの足が石に打ちつけられないように、あなたを支える』と書いて

ありますから」と言いまし
た。これも、イエス様は御使いに命じてすることも出来ました。しかし、

御自分の使命は、たとえ全能主の子であっ
としても、人間の肉を担って贖いを成し遂げることで

あったので、もし全能主の子としての権威を見せつけて
しまったら、人の子としての姿は、単なる形

だけのことであり、たとえ十字架にかかって死んだとしても、罪深
い人間の身代わりを示すことは

出来ませんでした。ですから、「ヤハウェなるあなたの全能主を
試みてはならない」と言って、悪魔の

言葉を退けたのです。
そして最後に、悪魔はイエス様を非常に高い山に連れて行き、全ての国々と栄華を

見せて、「もしあなたが、ひれ伏して私を拝むなら、これらのものをすべて
あなたにあげよう」と

言いました。一般的に、罪深い肉を持った人間の欲望には、「この世の富と栄華を自分のものにしたい」、

「この世の権力を自分のものにしたい」という願望があります。ですから、魔物の声に捕らわれた


人間は、「これらの物を全てあげよう」といわれたら、簡単にそちらの方に心を向けてしまいます。

それが、
人間の罪深い肉の姿です。ですから、私たちと同じ肉を荷われたイエス様に、悪魔は誘惑

してきたのです
即ち、「人と同じ罪深い肉を担った者なら、地上の富と権威が欲しいだろー。それ

なら、わたしを拝めばそれをあげよう」と言っ
来たのです。そこで、もしイエス様が人間と同じ

肉を荷なっている者として罪を犯し、悪魔を拝むことを容認し
てしまったら、罪人の贖いの計画は

ご破算になっていたことでしょう。しかし、ここでもイエス様は、悪魔の手
に陥って罪を犯す事は

なく、はっきりと全能主の側に立たれたのです。そして、悪魔を退け、「わたしは全能
主のみに仕える」

と言われました。
このように、イエス様が、私達と同じ肉をもたれても、毅然(きぜん)悪魔に立ち

向かって下さったお蔭で、罪人の贖いが実現したのです。そして、イエス様は、人と同じ肉を
担われ

ても、その肉に討ち勝って罪を犯されませんでしたので、イエス様の十字架の贖いが私達に与えられたの

です。ですか
ら、イエス様がマリヤを通して、人間の肉を取って下さった意味がここにあります。

こうして、
私たちの肉の贖いが完全に成し遂げられたのです。この荒野の試みは、人間の肉を荷なって

下さったからこそ
、悪魔が仕掛けてきた試みであり、全能主によるイエス様への試みでもあったの

です。これによって、全能主はイエス様を「わた
しの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と(おっしゃ)

のです。そして、この故に人間の罪に対する使命をイエス様全能主から(たく)されたのです。

ですから、私たちの救いは、悪魔の試みに勝利され、過酷な十字架の苦しみに耐え抜いて贖いを

完成して下さった、イエス様のお陰です。


(結) 
どうか、このイエス様に感謝して下さい。本来なら、十字架の死は、私達が受けるべき

苦しみでした。
それをイエス様が、あえて私達と同じ肉を荷なって贖いをして下さり、私達の罪の債務

証書を十字架に釘付けに
して下さったのです。ですから、この救いに預かった者は、もし悪魔の

誘惑が心の底から聞こえても「サタンよ、退け」と言って、「わたしは全能主のみに仕える」と、

毅然(きぜん)と悪魔に立ち向かって下さい。イエス様は、ゲッセマネの園で悪魔の声が聞こえても、

それを否定し、「わたしが願うようにではなく、あなたの御心のままに為さ
って下さい」と祈って

「サタンを退け」、そして、自分を空しくして、十字架の死に、ご自身を渡したのです。
即ち、

全能主に従い切られたのです。私たちも、ただ全能主のみに仕えて行く事が全てです。どうか、

イエス様に(なら)って、この生き方を始め出して下さい。


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