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2023年12月3日

サタンの催眠術から目覚め、全能主に立ち返る

使徒の働き 26:19~23


(起) 使徒行伝26章20節の御言葉から、「サタンの催眠術から目覚めて、全能主に立ち返り、

主に信頼する心を持って、主が成し遂げて下さる」
という実を味わって行く事を学びたいと思います。


(承)さて、使徒行伝26章20節を見ますと、「考えを入れ替えて、全能主に立ち返り、悔いて心を

入れ替えた者にふさわしい実を結ぶように」
とあります。「悔いて心を入れ替える」とは、「自分の

知恵や感情によって生きるのではなく、全能主に全てを委ねて信頼し、その中で実を結んで行く生き方に

変える」ということです。その具体的な例が創世記24章に出てきます。アブラハムは、一族の全ての

経済を管理させていた長老を呼んで、「私の故郷へ行って、イサクの妻となる者を迎えなければなら

ない」と命じました。長老にとって、自分の子供の花嫁探しではありませんので、実にやっかいな使命

です。本来なら父親であるアブラハムが、息子に相応(ふさわ)しい女性を見定めて連れてくるのが常識

です。ところが、アブラハムは老人になっていましたので、しもべに託すしかなかったのです。長老に

とっては、いくら信頼されているとはいえ、あくまでも他人です。知らない土地に行って、主人の

息子に相応(ふさわ)しい花嫁を探すとなれば、責任重大です。それでも長老が引き受けたのは、主人が

信じていたヤハウェを自分も信じ、そのお方に示して頂こうと思ったからです。
ですから、しもべは

従順に引き受けたのです。この仕え方こそ、私たちが主に仕えていく時の大事なポイントです。自分の

勝手な判断でする仕事ではないからです。この考え方に立つ事が、クリスチャンの歩みの秘訣です。


長老は、全能主の導きに従ってイサクの花嫁となる女性を探そうと、出掛けて行きました。そして、

ハランに着くと井戸の側で祈り、「ヤハウェなる全能主よ。どうか今日、私を顧みて(いつく)しみを

施して下さい。ここへ町の娘達が水を汲みに来た時、娘に向かって『お願いです。あなたの水瓶(みずがめ)

傾けて私に飲ませて下さい』と言います。そこで、『お飲み下さい。あなたのラクダにも飲ませま

しょう』と言ったなら、彼女こそイサクに相応しい女性だと確信できますので、どうかそのように私に

示して下さい」と叫んだのです。すると、そこへある娘が水瓶(みずがめ)を肩に乗せてやって来ました。

すると、長老が祈った通りの事が起こったのです。
長老は、アブラハムの故郷のハランにいる娘たちを

見て、どの女性がイサクに相応(ふさわ)しいのかと、自分の眼力に頼った訳ではありません。ただ、全能主に

お願いし、委ね、導きを待ったのです。そうしたら、全能主がその女性を示して下さり、しかも彼女は

アブラハムの近い親戚の娘であったのです。これは何とすごい事でしょうか。しもべは、「絶対に自分の

判断ではやらない。全能主に示して貰うのだ」
という、固い決意を決めていました。すると、その通り

全能主に全てを委ねて信頼し、その中で実を結んだ
ことを実感したのです。これが私達の信仰の生き方

です。


(転)しかしながら、皆さんがこのメッセージを聞いて「じゃあ私もそうしよう」と実践してくれる

ようなら幸いなのですが、残念ながらその実践の証しが、非常に少ないのが現状です。メッセージを

聞いている時は「その通りだ」と思って喜んだとしても、聖書に書いてある通り実践する勇気が無い

からです。イザとなると、「現実は、そんなに甘い物じゃない」という思いがよぎって来て、結局は、

現実的な方法に頼って手っ取り早くしてしまうのです。それは何故かと申しますと、私達はサタンの

催眠術にかかって「出来ない」という思いの虜になっているからです。
サタンの催眠術にかかっている

人は、「私には、主を信頼することができない」と思い込んでいます。
この催眠術に(かか)り易い人は、

元々後ろ向きな要素を持っている人で、「何くそ精神」の(とぼ)しい人たちです。即ち、元来マイナス

根性の虜になっていて、いつも損得勘定によって自分の判断で決めているからです。ですから、サタン

から「お前なんか主に信頼しても、出来んだろー」と言われて、「確かにそうだ」と同意し、「自分は

ダメだ」という世界に入り込んでしまうのです。


 
では、その催眠術から解かれるには、どうしたら良いのでしょうか。それは、不信仰な考えを吹き

払って、考えを入れ替え、全能主に立ち返って、自分に頼る事を止める事です。
その為には、「自分の

考えではもう駄目だ。そうだ、主に信頼して、主に成し遂げて貰う」と、悔いて心を入れ替える事です。

私達は、自分に頼っても人に頼ってもどうにもなりません。しかし、私達にはイエス様のアオリストの

救いがあります。そのイエス様に100%心を向け、本気で信じ、本気で信頼するのです。「私には

この道しかない」と決めた時に、催眠から解かれます。
そして、この生き方を始め出すと、アブラハムの

しもべのように「主が成し遂げて下さる」という実を現実に味わうのです。

(結)このように、私達はキリストを本気で信じたなら、当然の如く、信じた後も本気でキリストに

信頼して信じて行くのです。それをやるのは自分です。なぜなら、自分が催眠にかかっていた事が

分かったなら、そこから本気で目覚めようとするのは、自分だからです。即ち、このサタンの催眠術から

目覚めると、その生き方がガラッと変わって行きます。なぜなら、それは「自分の力でやって行くの

ではなく、主に信頼し、主に成し遂げて貰う」という、長老が祈った遣り方を始めるからです。
この

意識を持った時に、初めて私達の正気が出てくるのです。どうか、サタンの催眠術から目覚めて、全能

主に立ち返り、主に信頼する信仰を持って、主に成し遂げてもらう実を味わって行こうではありま

せんか。


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