ヨハネの黙示録に示された、七つの教会に宛てて書かれた手紙の目的は、信仰の戦い
を勇敢に戦い、「勝利を得る者」と成るようにと願って書かれた書物です。
そして、勝利を得たクリスチャンに約束された大いなる報いとは、「聖なる都、新しい
エルサレム」を相続することです(黙21:7)。これは、「小羊の妻なる花嫁(黙21:9)」
になる人々のことです。では、「小羊の花嫁」になる人々とは、どのような聖徒たちの
ことを言うのでしょうか?それは、黙7章9〜17節にある白い衣を身に纏っている
人々です。「彼らは大きな患難を通って来た人たち (黙7:14)であり、彼らは、絶対主
の御座の前におり、昼も夜もその聖所で絶対主に仕えているのである(黙7:15)」と
ありますので、彼らは「患難時代の殉教者(黙7:14)」であり、七つの教会に宛てて
書かれた「勝利を得たクリスチャンたち(黙3:12)」のことです。すなわち、勝利を
得たクリスチャンたちは、「聖なる都、新しいエルサレム」(黙21:7)の中に、小羊の
妻として入るのです。(黙21:2、9)。このように、黙示録に書かれてあることは、
これからの時代にクリスチャンが患難時代を通って、一人一人が経験していく世界です。
決して患難時代は、他人事ではなく、全てのクリスチャンが通っていく世界です。
ですから、黙示録が書かれたのです。{因みに、クリスチャンが患難時代の前に
携挙されるという考えは、ディスペイション主義に基づくまやかしであり、スコフィー
ルド(1843〜1921年)・バイブルが出版される以前の使徒時代には無かった
教理です。}なぜなら、携挙は黙示録に記されている獣の出現の後の14章に書いてある
事柄であり、黙示録14章までには、ほとんどのクリスチャンが獣によって殉教してし
まいます。ですから、クリスチャンが携挙されるのは、患難時代の終わりまで
生き延びて来た人々であり、その人々は主が白い雲の上に乗って来られる14章16節
の時に挙げられて行く人々です。それまでは、勇気を持って信仰を証していく聖徒の
忍耐の時です。だから14章12節には、「ここに、絶対主の戒めを守り、イエスを信じ
る信仰を持ち続ける者たちがいる。ここに、聖徒の忍耐がある。」とあるのです。
このように患難時代に入ったら、3年半以内に666の獣が出てきます。そして、ほと
んどのクリスチャンが獣の前で殉教して行くのです(黙13:7)。しかし、殉教してキリ
ストを信じる信仰を証した者たちは、その後に待っているすばらしい報いがあり
ます。それは、「勝利を得た者」として、小羊の妻となって聖なる都に入れて頂ける
ことです。なんと、今のクリスチャンたちには、こんな凄い特別な特権が用意され
いる時代に生きているのです。その幸いは、なんと「絶対主の幕屋が人と共にあり、
絶対主の御座の前に永遠にいる」という幸いです。ならば、7年間の患難は、これから
後にもたらされる大いなる恵みに比べたら取るに足りません。「絶対主は私たちに、
この事に適う者として下さいました。そして、絶対主は御霊という手付金を私たちに
下さいました」(第Uコリント5:5)。ですから、喜んでマラナ・タ(我らの主よ、来た
りませ 第Tコリント16:22)と叫ぼうではありませんか。
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