ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2019年 NO.676


絶対主の意思に(かな)った人生


 人は、その生涯の中で、いろいろ勉強し、いろいろ学び、いろいろ考え、いろいろな事

を行い、そして人生を終えます。確かに人間は、物でないことの証しとして、自分で考え、

自分の意思で生きて行くことが出来るように創られています。それは単なる物とか、一般

の動物とは大きな違いのあるところです。ですから、人間は創られた者として考え、物の

道理を十分に知り、判断して行くべきです。しかしその時に、正しい考え方、正しい道理

(わきま)えて判断したかどうかが重要な問題点になります。

 
というのは、正しい考え方とか、正しい判断というのは、人間をお創りになった絶対主

の心を理解し、それを受け留めて行くことだからです
もしそうではなく、人間が自分の

考える能力を自分勝手に使い、自分の
思いのままに生きて行くなら、創った方の意思に

反するので、最後は壊されて滅ぼされてしまうことになります。なぜなら、人は自分の

意思で生まれて来た訳ではないからです。人の命は、母親の胎内から産まれて来ますが、

母親が創った命ではありません。
人はオギャーと生まれた時に、人間として生きて行く

ための全ての器官が完成しています。それは、母の胎の中で完全な仕組みとして創られる

ようにプログラムされていたからです。そのプログラムは人間が創ったものではありま

せん。命を創り上げるプログラムは、それを創り上げる叡智が必要です。それは、人間

以上のお方
であることは間違いありません。聖書ではそのお方を絶対主と呼んでいます。


絶対主は創られたお方ではなく、元々、「()って有るお方」です。「()る」

とは「元々の存在」を示し、「()る」とは存在を「保ち続けること」を意味して

います。ですから、「誰によっても存在させられることがなく、また、誰によっても保ち

続けられることのないお方」のことです。このお方は、「永遠の昔から存在し、永遠の

未来まで存在され続ける全能の方」です。そのお方が人間を創作し、人間の命を始め

させられました。

 ですから、人間は決して自律している訳ではないのです。その証拠に、人間にとって

どうにもならない「死」が存在し、この「死」を、人間は自分の自由意志でコントロール

できないのです。ですから、人間は、自分の思い通りの人生を送ることの出来ない悔しさ

があるのです。この道理が分かれば、私たちは自分たちの人生を自分の思い通りに生きて

行っては、命を閉じた時、人生の精算を求められて破壊されてしまう
でしょう。

絶対主は「お前は、自分で自分の命を創った訳ではないはずだ。なのに、お前は自分の

命を頂いておきながら、その命を与えた者の心を理解しようとしなかった。だから、お前

は正しい考え方、正しい意思の用い方、正しい判断をしなかった。お前の命を創った

わたしの意図を汲もうとしなかったからだ。独りよがりな、自分の満足のためだけに人生

を歩み、命を勝手に使った者だ。だから、お前はわたしとは何の関わりもない」と言わ

れてしまいます。すると、私たちの命は、その生涯に犯した全ての罪が裁きの対象と

されてしまうのです。
このことを知らされ悟らされたのなら、私たちは「命をお与え

下さったお方の意思に
(かな)った生き方をするかどうか」が重要なテーマであること

が分かって来ます。それは、今からでも遅くはありません。このことを心に留めて来な

かった生き方を改めて、新たに始め出せば良いのです。それは、一人一人の正しい判断

にかかっています。この生き方に改めるには、正しい考え方に変えるだけのことです。


 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室