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2019年 NO.675


相手の心を()む心遣い


 絶対主によって造られたエバは、アダムの助け手となることが目的でした。

すなわち、女性は男性の助け手となることが目的で造られたのです。この助け手の働きは

「助ける相手の心を汲んで、どのように助ければ良いのか」を考えて協力します。

すなわち、「相手が求めているものは何か」、「何を願っているのか」ということを汲み

取ろうとして助けるのです。だから、「自分は相手に何をしたらいいのか」と考えます。

しかし、ここで注意すべき大切なことは「自分が相手に何をしたらいいのかと自分中心に

考えてしまう」
ことです。それは、自分が助けたいと思うことに関しては助けますが、

自分の考えが及ばないところには、心も身体も手出しをしません。すなわち、自分中心な

協力者
になってしまいます。それでは、相手が助けて欲しいと願っていることを無視し、

逆に余分な手出しをして「おしつけがましい助け方」になってしまいます。これでは、

相手の役に立たず、(かえ)って邪魔することになります。このような協力者は、本当の

助け人とは言えません。どこまでも「相手の側に立って考え」、「相手がして欲しいと

願う助け方」をしなければ意味がありません。しかし、現代人の多くは、「子供の頃から

自分中心な物の見方、考え方を身に付けており、相手の側に立って考えようとはしません。

ですから、「相手の心を汲んだ助け方」が出来ないのです。これは、絶対主に対する信仰

の姿勢にも言えることです。


 
「絶対主に従う」ということは、絶対主の側に立って考え、絶対主の心を汲んで従わ

なければ意味がありません。
自分中心な考え方で絶対主に従い、絶対主の役に立ちたいと

願っても、絶対主の気持ちを逆()でし、絶対主を「苛立(いらだた)たせる」ことに

なり、こうした信仰の在り方では拒否され、はねつけられるだけになってしまいます。

奉仕者が、「絶対主のために、自分の命も惜しまず献身的に労している」と自負しても、

絶対主からは、「自分の満足のために押し付けがましくやっているに過ぎない」と、思わ

れてしまう奉仕者がたくさんいるのです。


  これらの問題点の本質は、子供の頃から「自分の個性を大事にする」ということが

正しい教育として教えられ、「わがまま」が容認されて来たからです。ですから、「相手

のことよりも自分を大切にする生き方」が()()いて来ており、「自分の側から

しか考えることが出来ないようになってしまっている」ことが大きな問題です。


 私たちは、自分中心な物の考え方から離れて、絶対主の側に立って考えて行く必要が

あります。
そのためには、まず、「常に相手の側に立って考えて行く」ことを身に付け

なければなりません。
自分勝手な奉仕は、単なる押し付けです。「相手の心を汲み取り、

相手の側に立った心遣い」をして、初めて生きた助けとなるのです。この意識が絶対主に

繋がって行く信仰の心の大切な部分となるのです。ですから、まず相手の心を汲み取ろう

とする心が、「自分の信仰の姿勢の大切な部分だ」と悟って
、始め出しましょう。




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