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2019年 NO.661


心の(ふた)を取る


 

 「人の心の中から、悪い思いが出て来ます。不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、

欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴、これらの悪はすべて内側から出て、人を汚すの

です」(マタイ72123)。人の語る言葉は、心からあふれ出ることを語ります。

そして、もし心の中に傲慢の思いが満ちてくると、人は邪悪な言葉が溢れ出て、高慢ちきな

人間になってしまいます。その原因は、人間の心の中には全ての人に、魔物の心が住みつ

いているから
です。だから聖書は、「人は生まれながらに罪人です」と宣言しているの

です。その証拠に、「人は善をしたいと願っているのに、したくない悪を行ってしまい

ます
」。また、「善をしようと願っている私に、悪が入り込んでいるという 原理を見い

出すのです
」と、聖書の中にあります(ローマ書719-21)。このことは、私たちは

認めたくなくても現実のことです。だから、人は自分の心を見たくありません。見れば、

醜い自分の姿を思い知らされるだけです。
これが現実ですので、私たちは自分の心を

見ようとしません。だから、クリスチャンでさえ「罪が分からない」と言います。

それは、自分の罪に気付こうとしない習慣が身に付いているからです。
ですから、心に蓋を

して心の中の罪を見ず、ただ頭だけで反省し、如何にも「悔い改めます」と、もっともら

しく謝って終わらせるのです。


  このような習慣の中にある人は、決して絶対主と繋がることはありません。

なぜなら、「人はうわべを見るが、ヤハウェは心を見ておられる」(Tサムエル167

からです。ですから、私たちがクリスチャンであるなら、当然絶対主と繋がる考え方を

持たなければなりません。そのためには、心の中の罪を直視して行く必要があります。

そうすれば、邪悪な思いに満ちている自分の姿に遭遇することでしょう。しかし、それが

本当の自分の姿ですから、この罪深い人間を救うために贖いをして下さったイエス様の

十字架の意味が良く分かって来るはずです。しかも、心の中の罪は命を閉じる時まで

決して消えることはありませんので、一生を終えた時に、その生涯の罪の贖いが全部

イエス・キリストの御陰で実現していることに感動するでしょう。


  このことが分かれば、私たちはこの地上にいる限り、心の中の罪を棚上げにしてはいけ

ません。心の中の罪を直視し、そのためのキリストの贖いがあることを覚え、その罪に

対する「悔い」と「へり下りの心」は、一生涯自覚して行くものです。
ところが、その

「悔いし、砕かれた心」を絶対主は「決して蔑まない」と言って下さる(詩5117)の

ですから、クリスチャンは、自分の心の蓋を取り払って、自分の心の内面を直視し、

「砕かれた悔いし心」を、一生涯持って行くのです。
この心を自覚している人は、

もう人に反発し、反抗することはしないでしょう。なぜなら、自分こそ罪人の頭である

ことが分かりますから、人を裁き反発することは出来ません。すると、絶対主にも反発

せず、へり下って仕えて行けるようになります。絶対主は、この心を持った者を使いたい

と願っておられます。どうか「砕かれた悔いし心」がクリスチャンの最低限の信仰の

心であると自覚し、この心を土台とした信仰を持って絶対主に仕えて行きましょう。




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