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2018年 NO.648 |
先週、牧師の机の上に置かれた郵便物を何気なく開封した時、差出人の名がないことに 気づきました。宛名こそは「春日井恵みキリスト教会」でしたが、その茶封筒には差出人 の名義がありません。そこで、何の手紙だろうかと封を切ると、一枚の小さな紙に御言が 記されておりました。詩篇68篇9節の御言です。「絶対主よ、あなたは豊かな雨を 注ぎ、疲れきったあなたのゆずりの地をしっかりと立てられました」と。 また、同封された一枚の郵便為替証書が入っており、500万円と金額が記されて いました。何度も見返しましたが、確かに5,000,000円と0が6つ付いてい ました。 私共の教会は、これまで教会内からの高額な献金はしばしばありましたが、しかし、 今回のように、郵便の差し出し地が沖縄県のようであり、私たちの教会の事情を全く 知らないはずの方からの献金を受けたのは初めてのことでした。ですから、これはミラー さんの経験を地で行く事柄でした。私たちの教会は、現実に今「疲れ切った状態」に あり、そんな中で、「どこまでも絶対主に信頼して」活動して来ました。それは、牧師の 決断が「まず第一に、絶対主の国と絶対主の義を追い求める」という信仰に立っていた からです。そして、その生き方が「実際に通用するかどうか」を試して行くと固く決めて いたからです。そんな中で、このような絶対主の取り扱いが起こったのは、聖書の中に 書いてある事と、孤児を絶対主のみに頼って育てて行ったジョージ・ミラーさんの証し が、今日も起こるということの証明でした。これは、牧師にとって本当に嬉しいこと です。なぜなら、御言のみに依り頼んで行くことを伝え、語って来た事が、決して 「綺麗事の絵空事」ではないことを、絶対主が証明して下さったからです。すなわち、 ただ頭だけで「主よ、主よ」と言って来たのではなく、「身も心も絶対主に懸けてここ まで来たことは正しかった」ということが証明されました。聖書にはこう書かれて います。「天の父は、これらのものが、ことごとくあなた方に必要であることを知って おられます。」(マタイ6:32)ですから、「まず第一に絶対主を追い求め続けて 行くなら、これらのものは、すべて添えて与えられます」と。このように言われていた 絶対主が、御言に書かれていることが今日も同じように起こることを、教会員全員に 指し示して下さったのです。 それならば、私たちは決して臆することなく、大胆に絶対主に懸けて行く信仰を始め 出してもいいはずです。「覗き見て、様子見伺い」ばかりしている時ではありま せん。「絶対主の全能の力が私たち信じる者にとって、如何に偉大なものであるか」 (エペソ1:19)を知ることの出来る者は、本気で信じ出す、信仰の当事者たちです。 ですから、私たちは、地上のことは、もう全て主に任せて、残りの生涯を絶対主のために 本気で生きて行く、前向きな決断をするだけです。それが通用するかどうかを、私たちも 信仰の当事者として始め出して行きましょう。 |
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