|
|
||||||||||||
2018年 NO.649 |
私たちの祈りに「アーメン」の同意の起こらない理由は、聞いている者の内住の御霊が 反応していないからです。もし、聞いている者の内住の御霊が反応し「その通りだ」という 同意の心が起これば、必ず「アーメン」という言葉が教会全体に響き渡るはずです。 ですから、祈りは、単なる自分の思いを口に出すことではなく、祈る人の御霊の思いが、 その人の口から出てくる必要があります。そのためまず、祈る時には、「御霊によって祈れる ように」と願い、それから祈り始めることです。そして、祈り方の大切な点は、御霊の声を 聞く時のように、自分の肉の思いを挟まないことです。どういうことかと言いますと、御霊の 思いに対して、「なぜ、そんな考えを抱くのかなー」と疑問を挟み、肉の頭で考え始める と、自分の肉の思いに添った言葉が選ばれて、祈り出してしまうのです。心の中には、御霊 だけでなく、悪霊の働きかけもありますから、それを自分の頭で判断して言葉に出すと、 御霊の思いの祈りではなくなってしまうのです。 「御霊が大胆に語らせるままに」(使2:4)とあり、また第Uペテロ1:21では「聖霊に 駆り立てられて語ったものです」とあります。すなわち、御霊の働きは、御霊様の主導権の中 で人に 言葉を与えているのが分かります。ということは、祈りの具体的方法は、まず心の 内に働かれる御霊の思いを自分が感じ取って、それを、自分の肉の頭でアレンジしないように することです。すなわち、御霊は「弱い私たちを助けて下さいます。なぜなら、私たちがどう 祈ったらよいか分からなくても、御霊自ら言葉に表せない切なるうめきをもって私たちの ために、執り成して下さるのです」(ローマ8:26)。このように、祈りは御霊の執り成しが ありますから、御霊の思いに信頼して御霊が語らせるままに、次々に言葉に出して行く勇気を 持つことです。祈りは、御霊が私たちの主導権を取って「執り成して下さる」ので、御霊に導 かれて、心に昇ってくる言葉を出して祈ることが、「御霊によって祈りなさい」(エペソ6:18) という勧めです。それは「絶対主の御旨に適う執り成しをして下さっている」(ローマ8:27) からです。 その御霊の思いをイメージして、言葉に出して祈るということです。この時、私たちの生まれ ながらの習慣で、頭で考えて肉の思いを入れることをしないことです。 そのために、頭に考えさせないで、心の思いをすぐに口に出すという習慣をつけることです。 一般社会では、良く考えもせず「言いたいことを口に出す」のは、顰蹙を買います。 そういう人は、愚か者というレッテルを張られます。しかし、祈りは、自分の肉の心を表す ものではなく、御霊によって心に浮かんでくるものを 言葉に出すのですから、それは正しい ことです。勇気をもって始めて下さい。きっとアーメンの出る祈りは、「こういう祈りだ」と 分かってくるでしょう。 |
|