私たちが、パラダイスに行けるかどうかは、実に深刻な問題です。なぜなら、今持っている
命は偶然に出来上がった命ではなく、命を生み出された方の意思に基づいて存在している命
だからです。この人間の命は、小さな命である細胞が集まって出来ています。
初めは、男性の一つの精子細胞と、一つの女性の卵細胞が合体して、受精卵の細胞となり、
その受精卵が幾倍もの数に分裂して60兆個にまで至ります。その分裂の過程で、母の胎内
でいろいろな臓器が組み立てられて行きます。ある時に心臓ができ、次には体中の血管が
10万qも出来上がってくるのです。そして、脳の仕組みが造られ、肺、腎臓、肝臓、膵臓、
胃、腸などが出来上がって行きます。また、腎臓では、おしっこをする仕組みや大便をする
仕組みも出来上がり、目で物を見、鼻で息を吸い、耳で音を聞く仕組み、口で食物を食べる
仕組みなどが、母の胎の中で出来上がって行くのです。それは、決して「でたらめ」に作り
上げられるものではありません。全てが「決め事」に従って順序よく作り上げられ、
10月10日経つと、「オギャー」と生まれて、自分で呼吸をし生き始め出します。
これらの命は、実に複雑な数々の仕組みがトータルで仕組まれ、一人の人間として活動を
始めるのです。もし人間が偶然の存在であるならば、生まれてくる子も「でたらめ」に
仕組まれて、奇形児しか存在しません。それなのに、10万qもある血管は、絡まること
もなく、詰まることもなく、60兆個の細胞に酸素と栄養を届け続けて行くのです。こんな
精巧な作品が知恵ある制作者や、設計図なしに存在できるでしょうか。出来上がった体も、
一つ一つの決め事が正しく働かないと、一日も生きて行くことはできません。もし地球に酸素
がなかったら、赤ちゃんはオギャーと息を吸い始めても、死んでしまいます。ここに、生きて
行くための驚くべき生活環境も、予め創り上げられていたわけです。ですから人間が生きて
行くことの出来る命は、決して偶然の産物ではなく、この地球上に生かすように考えて
仕組まれた、命の創造主の驚くべき傑作の塊です。
そんな被造物である私たちが、命の制作者を無視して、傲慢の限りを尽くして生きて来たの
であれば、どうなるのでしょう。人間は理性のない単なる動物ではありませんから、人のこと
を考え、「世のため、人のために」生きようとする心を持った存在として創られ、命を閉じた
時には、その一生の行いの悪行と罪は、創造主の審判の対象になります。それは、驚くべき
命の尊厳としての当然の結果です。すると、私たち自身は裁きの対象です。それなのに、
もし罪の債務を全て無効にされる方法があれば、どうでしょう。「信じますか」、「バカに
しますか」?私たちがパラダイスに行けるかどうかは、実に深刻な問題なのです。
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