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2018年 NO.629


黙示録の中に見る聖徒の生き方



 黙示録に記されたメッセージは、すべてのクリスチャンが「勝利を得る者」となって、

「聖なる都エルサレム」の住民となることです。そのためには、7つの教会に宛てて書かれた

試練を乗り越えて、信仰の勝利者となることです。「勝利を得る者は、これらのものを相続

する。わたしは彼の絶対主となり、彼はわたしの子となる」(黙217)と言われ、「これら

のものを相続する」というのは、7つの教会に宛てて書かれた「勝利を得る者」が「聖なる都

エルサレム」の中に在って受け取る報いです。その報いは、7つの教会に宛てた手紙の結論に

1つ1つの具体的な報いが記されています。ですから、クリスチャンが目指す信仰の歩みは、

黙示録12章11節にあるように、「兄弟たちは、小羊の血と、彼らの証の言葉とによって、

その龍に打ち勝ち、死に至るまでも自分たちの命を惜しまなかった。
」という信仰の勝利に

なることです。その生き方は、パウロさんがピリピの聖徒たちに勧めているように、「生きる

にしても、死ぬにしても、私の身によってキリストが崇められることです。私にとって生きる

ことはキリストであり、また死ぬことは益です」(ピリピ1:20〜21)という、証しを

立てることです。黙示録には、「ここに、絶対主の戒めを守り、イエスを 信じ仰ぐ心を持ち

続ける、聖徒の忍耐がある」(黙14:12)とあり、また「今から後、主にあって死ぬ者は

幸いである」(黙14:13)とあります。これは、龍に打ち勝ち、死に至るまでも自分の

命を惜しまなかった「勝利者」の生き方です。すなわち、私たちが自分の命を惜しんだら、

キリストの証しは出来ないということです。
まして、キリストの為に生きず、自分の都合

ばかり追求し、あたかも救いが地上の幸いの中にあると思っている人は、聖なる都に望みを

持つことはできないでしょう。このことは、患難時代の中に入った者だけのメッセージでは

なく、今、「平和だ、安全だ」という  この時代の中で生きているクリスチャンに対する、

絶対主からのメッセージです。これまでの世界の歴史上、キリストを信じる人々はいつも

激しい迫害によって信仰が試されて来ました。信仰が試されるのは、患難時代に入ったクリス

チャンだけでなく、今も同じ信仰の試しがあり、「あなたは冷たいか熱いかであってほしい…

あなたはなまぬるいので、わたしの口から吐き出そう」(黙3:15〜16)と言われている

のです。クリスチャンの生きる望みは地上にはなく、聖なる都エルサレムで生きる望みです。

ならば、パウロさんのように、「恵みの福音を証しする任務を喜びをもって果たすことが

できるなら、この命は、少しも惜しいとは思いません」(使20:24)という生き方を

表して行きましょう。


 
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