|
|
||||||||||||
2018年 NO.656 |
「キリストは…私たちの卑しいからだを御自身の栄光の体と全く同じ姿に変えて下さいます」 (ピリピ3:21)とありますが、クリスチャンが、実際に罪深い体から、キリストと同じ 栄光の体に変えて頂けるのはいつのことでしょうか。それは、ピリピ3:20にあるように、 「私たちの国籍は天にあります。そこから、救い主、主イエス・キリストが来られるのを 私たちは待ち望んでいます」とあるように、主が再び来られる時、罪深い体も、御霊の体に 変えられ(第Tコリント15:44)、罪のない 完全な体に変えられるとあります。 このことをもう少し詳しく説明しますと、クリスチャンは地上にいる間は、罪深い肉の体を もって一生を終えます。それは、キリストが地上の人間の罪を消してしまうために来られた からではなく、あくまで罪深い人間の罪の贖いの代価を支払うために来て下さった身代わり の死だからです。ですから、キリストを信じても地上にいる間は、罪人のままです。 しかし、信じた時に永遠の命の約束を頂きましたので、罪の体が死んで滅びても、魂は天の パラダイスに迎え入れられます。そして、しばらくの間は眠るのです。その間に、地上では 世の終わりの患難時代を迎え、それに続く千年王国が終わった時に、キリストが裁きの座に 着かれます(使17:31、黙20:11〜15)。その時、信者も未信者も全ての人が甦り、 命の書に名が記されていた人は、御霊の体をもって、新天新地の天の御国へ入れられるのです。 しかし、命の書に名が記されていない者は皆、その行いに応じて裁かれ、火の池に生きたまま 投げ込まれます(黙20:15)。このように、クリスチャンの罪から解放される日は、命を 閉じた時です。決して地上にいる時に罪から解放され、罪が消え去ってしまうことはありま せん。しかし、地上にあっても罪を犯さなくなることも事実でしょう(第Tヨハネ3:6 「誰でもキリストに在る者は、罪を犯し続けません。」)。これは、罪を完全に犯さなくなる ことではありませんが、私たちが絶対主を信じて、絶対主の為に生き始めようとした時、 少なくとも、暗闇の支配者である悪霊に従っていた時代と違って、今は絶対主と交わり光の 中にあって歩むのですから、御子イエス・キリストの血が、私たちの一つ一つの罪からきよめ 続けて下さいます。この罪のきよめに預かったとしても、それは罪を犯さなくなったから というのではなく、自分の犯した罪を正直に認めて、告白し続けて行くなら、絶対主はそれら の罪を赦し、一つ一つの不義から私たちをきよめて下さる(第Tヨハネ1:7〜9)という ことです。このことが、この地上にあってもあり得るのです。しかし、生まれながらの罪人 ですから、地上にあって 罪の悔いは一生涯背負って行くべきものです。それをもし棚上げに して、罪を犯さない者のように振る舞い、罪の責めを無視していくなら、絶対主の憐れみを 逆撫ですることになります。 砕かれた悔いし心を持ち続けながら、へり下って仕えて行く生涯が、罪人にふさわしいのです。 このへり下りの心をもって、主の贖いの日を待ち望みつつ、仕えて行きましょう。 |
|