『御父と御子の交わりの内に留まる』
第Ⅰヨハネ2:20~29
(起) 第Ⅰヨハネ2章24節の御言葉から、「御父と御子の交わりの内に留まる」ことを学び、
「たとえ取り返しのつかない罪を犯してしまったとしても、その罪を誤魔化さずに正直に認め、
イエス様の贖いに留まり続ける」ことを学んで行きたいと思います。
(承)さて、24節を見ますと、「初めから聞いたことを、あなた方の内に留まらせなさい。
もし初めから聞いたことを、あなた方の内に留まらせるなら、あなた方も御父と御子の交わりの内に
留まることでしょう」とあります。この「初めから聞いたこと」というのは、「イエス・キリストが
私たちの罪の贖い主であるという福音」です。確かに、自分の罪の贖いをして下さったイエス・キリ
ストを信じ、その福音に留まり続けるなら、私たちは永遠の命を受けます。しかしながら、「御父と
御子の交わりの内に留まる」と言うことは、私たちにとって、そう簡単なことではありません。
なぜなら、私たちの心の中には魔物が住んでおり、「自分の罪を指摘されたり、怒られたりすること
を嫌がる」という身勝手な思いが働くからです。私たちは、自分自身のプライドが傷付くことを極度
に嫌い、自分がやった過ちも正直に認めると、全て自分に責任が降りかかってくるので、嘘を付いて
でも逃れようとする思いが働くのです。ですから、正直に誤りを「自分が悪かったのです」と謝る
ことをしようとはしません。こうして、私たちは責任を取らされたくないため、嘘をつき、弁解をし、
卑怯な手段をとってでも、いつも自分を守ってきたのです。つまり、罪人のためにイエス様が死んで
下さったにもかかわらず、「自分は罪人である」ということを表明してこなかったのです。
しかし、それを表明しないということは、「自分が罪人である」ということを全能主の前に認めて
来なかったことになり、イエス・キリストの贖いが、自分と関わりのないものになってしまうのです。
なぜなら、イエス・キリストの十字架は、「自分の罪が、どうにもならない事を自覚して、罪人
そのものであることを認めた者に対する贖い」であったからです。なのに、今現在も自分の罪を
正直に認めず、罪の報いを受けることから逃げて来た者は、「御父と御子の交わりの中に留まって
きた」ことにはならないのです。
(転)では、私たちはどうするべきでしょうか。それは、「たとえ取り返しの付かない罪を犯して
しまったとしても、それを全部認めて報いを受けて行くことです。」これは、弱肉強食の競争社会に
いる人間にとっては難しいことでしょう。しかし、それは絶対に今経験しておかなければなりません。
「人からどんなに辱めを受けようが、傷付き敗北しようが、また、切腹の命が下ろうが、自分が
やったことなのだから、それを全面的に認めて、堕ちるところまで堕ちるべきです。」それは、罪人
として当然受ける報いです。そこまで行ったときに初めて、「そのお前のためにイエスの贖いがあっ
たのだ。だからそれでいい」と、命を閉じた後に、全能主から声が掛かります。なぜなら、「一生涯
の罪は、裁きの対象であったのが、お前が罪人であることを一生涯認め続けてきたのだから、そこ
には罪人のためにしたイエスの贖いがある。だから、お前の罪は裁きの対象から外されるのだ。」と、
全能主が言われるのです。このように評価されなければ、自分に永遠の命があると思ってはいけま
せん。「御父と御子との交わりの中に留まる」ということは、そういうことなのです。ですから、
私たちは、「イエス様があそこまでして下さったのは、自分は言い訳できない100%罪人だった
からだ」と、「悔いし砕かれた心」を持つのです。その時、全能主は、「私は、悔いし砕かれた心
を、蔑まない」と言って下さり、その御言葉を自分に適用して下さるのです。と言うことは、「自分
の罪は自分の責任ですから、誤魔化さずに認め続けること」です。その生涯を通した者に対してのみ、
「最後に罪の裁きが行われる時に、その者を裁きの対象から外して下さる」というキリストの救いが
実現するのです。そして、それだけではなく、キリストの故に御国に入れられた時に、全能主は
「わたしは、彼らの不義を憐れみ、もはや、彼らの罪と不法を決して思い出すことはしない」
(ヘブル8:12)と言って下さるのです。全能主は、私たちの命の主権を握っておられるお方で
あり、私たちの罪を裁くお方です。そのお方が、「お前たちの罪と不法を思い出さない」と言って
下さるのですから、そこには、完全な救いが存在するのです。そして、第Ⅰヨハネ5:1を見ますと、
「誰でも イエスがキリストであると信じる者は、全能主から生まれた者です」とあります。ここに、
「全能主から生れた」という言葉がありますが、私たちは被造物ですから、普通は「全能主から
生れた」とは言われません。人間は、あくまでも創られた者でした。ところが、イエス様の故に
全能主に養子縁組をして頂き(エペソ1:5)、全能主の子とされるのです。そして、イエス様が
私たちの長子となり(ロマ8:29)、私たちも全能主の子(ロマ8:16)として永遠の交わりの
中に入れられるのです。これはすごいことではありませんか。
(結)私たちに与えられている救いとは、こんなにすごいものなのです。それが分かったら、
私たちは正直に自分自身の罪を認める世界に入って行くべきです。そして、天の御国で「まさに
ないがし
御父と御子の交わりの中に入れて頂ける」のです。こんなにすごい救いを蔑ろにしてはいけません。
どうか、たとえ取り返しのつかない罪を犯してしまったとしても、その罪を誤魔化さずに正直に
認め、イエス様の贖いに留まり続けて行きましょう。
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