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2018年2月4日

『与えられた命を、最後まで全能主の栄光のために使って頂く』

ルカの福音書22:31~34

(起) ペテロに、「あなたが立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言われた

イエス様の言葉を、私たちに適用し、「与えられた命を、最後まで全能主の栄光のために使って

頂く」ということを学びたいと思います。


(承)さて、私たちの命は、決して進化によって出来上がった代物ではありません。私たちの

体の仕組みを見て行けば、「これは偶然に出来る仕組みではない」ということが明らかです。

ということは、私たちの命を創られた偉大な知恵あるお方、すなわち全能主が存在しており、

そのお方が私たち一人一人に目的を持って創って下さったということが分かります。すると、

私たち一人一人には、全能主から与えられた使命が必ずあるはずです。例えば、ペテロの場合、

「主よ、私は牢であろうと、死であろうと、あなたとご一緒に行く覚悟です」と、男気を持って

断言し、「私は一生涯イエス様のために生きて行きます」という思いを表しました。しかし、

それはあくまでもペテロの肉の熱意であって、イエス様は、そんなことをペテロに願って

おられませんでした。だから、そのペテロの言葉は無惨にも砕かれてしまいました。そこで、

イエス様は、十字架にかけられる前にペテロに対して、「あなたが立ち直ったら、兄弟たちを

力づけてやりなさい」と言われていた通り、ペテロはイエス様の意向のために働き始めたのです。

すなわち、「十字架に付けられたイエスは、全能主によって甦らされた、罪の贖い主であること」

を宣べ伝え始めたのです。


(転)では、私たちはどうでしょうか。私たちの教会には、ノアの箱船ミュージアム、バイブル

ランドというビジョンが与えられています。これはどこまで行っても啓示ですので、まだ実現は

しておりませんし、実現ができるような目途も立っておりません。しかし、これからの聖霊の

働きを通して、実際に働きが始まって行けば、私たち一人一人は、具体的な仕事のために

用いられて行き、全能主のために働く一人一人とされて行くことでしょう。そして、更に

教えられていることは、全能主は私たちを、「世の終わりの集大成の働きのため」に、用いようと

して下さっているということです。世の終わりについては、ルカの福音書を見て行くと、二度の

天変地異が起こると記されています。(ルカ21:11、ルカ21:26)私たちは、その中を

通って行くのです。しかし、私たちの命が与えられた目的は、単に患難時代を通っていくことでは

ありません。その目的は、反キリストに全能主を証しすることです。艱難時代は、全てのクリス

チャンが通っていく迫害時代です。このことは、黙示録13章にはっきり宣言されており、

「獣は、聖徒に戦いを挑んで、これに勝つことを許され」(黙示録13:7)とありますから、

例外はありません。だから、世界はどんどん滅びへと向かって行きます。そして、私たちの命は、

反キリストに証をして殉教することになるでしょう。でも、そこに全能主から託された使命が

あるのです。ならば、イエス様がペテロに言われたように、私たちは自分のことばかり考えて行く

のではなく、兄弟達を力付けて行くのです。すなわち、
私たちの命が与えられた目的は、

あくまでも全能主を証しするためですから、与えられたこの命は、自分のために使うのではなく、

全能主の意向を実現するために使うのです。


(結)私たちの命は、もう自分のためにあるのではありません。私たちの命に必要なことは、

すでにイエス様が完全に成し終えて下さいました。ですから、あとは、私たちに命を与えて

下さった全能主のため、また、私たちのために命を捨てて下さったイエス様のために命を預け、

使って頂くのです。この生き方こそ、私たちの命の価値があります。この命を「預ける」という

ことは、自分に任された仕事を、自分の思い通りにやって結果を出して行くことではありません。

多くの人は、「自分に仕事を任されると、自分に権威が与えられたと錯覚して、自分の思い通りに

しようとします。」しかし、それは勘違いであり、そうではありません。私たちは、全能主から

仕事を「託された」者にすぎないのですから、最後の「決定」は全能主がなされます。それを

自分が握って、自分の考え通りしようとすると、自分を守り、自分の満足や自分の栄光のために

仕事をするようになります。ですから、
どこまでも全能主の意向を理解し、全能主の意向ために

するのだと、心掛けなければなりません。
これが「預ける」ということです。この意味を

間違えて、自分の思い通りしようとするなら、いくら「全能主のために命を使って下さい」と

言っても、本当の意味で全能主のためになりません。私たちが全能主のために仕事をする

ときには、しもべとして仕えて行くことが全てです。どうか、そこに心を向けて下さい。そして、

「与えられた命を、最後の最後まで全能主の栄光のために使って頂こう」ではありませんか。
 


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