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2018年2月25日

『「自分を頼みとする土台」から「絶対主を頼みとする土台」へ』

Ⅱコリント3:6~18

(起)「自分を頼みにする土台」から、「絶対主を頼みにする土台」へ、自分の生き方を100%

替えて、その道を歩み始めるということを学びたいと思います。


(承)さて、18節を見ますと、「私たちは皆・・・栄光から栄光へと主と同じ似姿に変えられて

いきます」とあります。「主と同じ似姿」というのは、マリヤさんを通して肉を持たれた

イエス様が、聖霊のバプテスマを受けて、父の栄光を表す働きの中に歩まれた時のイエス様と、

同じ似姿に変えられて行く
ということです。それは、自分では分からないかも知れませんが、

「鏡に映して見ることにより分かる」とありますから、私たちが主の働きを始めた姿を見た

人々の反応によって、「自分たちが主の似姿に変えられて行っている事が分かる」ということ

です。他の箇所には、「絶対主が聖であるように、あなた方も聖でありなさい」とありますが、

それは、私たちの努力でなるものでは決してあり得ません。しかし、もし私たちが聖なる

絶対主の働きに用いられていく中で、絶対主の影響を受けて行くとしたら、自然と聖なる方向に

向けられて行く事は十分あり得ることです。そして、最終的には主と同じ似姿に変えられて行く

と言う、御言葉が実現するのです。これは、天に行ってから味わうことではなく、この地上に

いる時に味わうことです。となると、聖書に書いてある事柄は、私たちにとって決して遠い

世界のものではなく、私たち自身が現実に味わうことのできるものなのです。


(転)しかし、「主と同じ似姿に変えられて行く」と言っても、その度合は一人一人違います。

何によってその度合が決まるのかというと、
如何に絶対主の側に立って生きたかということ

です。」
すなわち、100%絶対主に信頼して生きて行く道を選んだかどうかということです。

そのことについて、Ⅱコリント1:9~10を見ますと、パウロさんは、「私たちは極度な

までに、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ断ち切られました。そして、心の

うちで死を覚悟しました。これは、私たちが自分自身を頼みとしないで、・・・
絶対主を頼みとする

ためでした
」と言っています。パウロさんは、耐えられないほどの圧迫や、死を覚悟しなければ

ならないほどの苦難を受けました。そして、それに依り「人間の力ではどうにもならない」と

いうことを味わいました。そこで、パウロさんが依り頼むのは、「
もう自分ではなく絶対主

しかない
」ということを教えられたのです。私たちも、今までのいろいろな経験を通して、

「いくら自分に依り頼んでも、どうにもならなかった」ということを思い知らされて来ました。

「じゃあ、これからどうしたらいいのか」と言ったら、
「絶対主に依り頼んで行く道しかない」

ということです。私たちにとって、この信仰のイメージは、ジョージ・ミュラーさんを思い返す

ことです。彼は、孤児を育てて行くにあたって、自分に頼ったり、人に頼ることを一切やめ、

全面的に絶対主に信頼してやって行くという選択を最後まで貫いて行った人です。「孤児の父は

絶対主である」という聖書の御言葉を信じ、どこまでも絶対主に依り頼み、絶対主だけに懸けて

行ったのです。ですから、私たちも、同じ世界に飛び込まなければなりません。しかし、主に

信頼して行けば、何もかも上手く行くわけではありません。逆に、苦難がやって来ます。

それでも、絶対主に信頼して行くなら、苦難も幸いに変えられて行くのです。それが、ジョージ

・ミュラーさんの証です。こうして、その道を最後まで全うした者に、「栄光から栄光へと、

主と同じ似姿に変えられて行く」という御言葉が実現するのです。「主に信頼しなければ

ならない時は信頼するが、都合が悪いときは自分の判断でやって行きたい」というのでは困り

ます。こんな自分勝手な信仰では、どうしてこの御言葉が実現するでしょうか。


(結)ですから、私たちは、自分を頼みにする土台から、絶対主を頼みにする土台へ、100%

替えるべきです。確かに、「私たちは・・・あふれ出る主の栄光を反映し、栄光から栄光へと主と

同じ似姿に変えられていきます」という御言葉は事実です。
しかし、それは私たちの信仰の歩み

方次第です。
私たちが100%生きる土台を替え、絶対主の側に身を置いて、どこまでも主に

信頼して行く道を選択して行くならば、主と同じ似姿に変えられて行く度合は豊かになって行く

でしょう。それなくして、この御言葉の実現はあり得ません。私たち自身は、何の力もない者

です。だからこそ、「100%絶対主に頼ってやって行く」と決断して行くのです。自分の考え

(
)で、できることしかしようとしないならば、御国に入れて貰うことも、危ぶいのです。

なぜなら、それは絶対主を信じると言いながら、自分を信じて歩んで来たからです。それは、

絶対主を信じた者とは言えないからです。ですから、
「自分を頼みにする土台」から、「絶対主

を頼みにする土台」
へ、自分の行き方を100%替えて、その道を歩み出しましょう。 

 


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