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2018年2月18日

悪霊との戦いとは、頭で考えた肉の判断をやめて、
御霊の判断をして行くことである


第Ⅰペテロ5:5~11

(起)第Ⅰペテロ5章とロマ書8章の御言葉から、「悪魔との戦いとは、頭で考えた肉の判断を

やめて、御霊の判断をして行くことである」ということを学び、その生き方を具体的に始め出して

行くことを学びたいと思います。

(承)さて、第Ⅰペテロ5章8節を見ますと、「あなた方の敵である悪魔が、ほえたける獅子の

ように、食い尽くすべきものを求めて歩き回っています」とあります。この悪魔は、私たちの目には

見えませんが、今現実に私たちを取り囲み、隙あらば、私たちを食い尽くそうとしているのです。

私たちには、この悪魔の姿が見えませんから、普段何も意識せずに生活していますが、悪魔には

私たちが見えているのです。だから、私たちはその悪魔の攻撃を防御し、戦って行かなければ

なりません。9節にありますように、私たちは、「主を仰ぐ心に堅く立って戦いなさい」と進められ

ています。信仰とは、「この悪魔に立ち向かいなさい」という戦いをしてこそのものです。ただ

「主を信じています」と言うだけでは、信仰があるとは言えません。
信仰とは、必ず御言葉の勧めに

従って行動が伴うのです。


(転)では、私たちにとって、悪魔との戦いとは、具体的にどういうものでしょうか。それは、

地上で生きていく中で、頭で考えた肉の判断で生きていくのではなく、心で聞いた御霊の判断で

生きていくことです。なぜなら、悪魔は私たちの肉の心に働くからです。ロマ8:5を見ますと、

「肉の性質に従う者は、肉的なことに心を向け、御霊に従う者は、御霊のことに心を向けるから

です」とありますが、「肉の性質」とは一体何でしょうか。それは、クリスチャンであっても

私たちが生まれた時から持っている魔物の心です。私たちの判断は、無意識のうちに、この魔物の

声を聞いて自分の損得に従って行動しています。その証拠に、いつも自分の頭で都合良く考え、

行動して来ました。しかし、それは全能主に敵対する方向にしか向かいません。7節に、「肉的な

思いは全能主に敵対する」とある通りです。ところがクリスチャンの心の中には、信仰によって

御霊の内住があり、御霊の語りかけが心に起こります。ですから、私たちは、クリスチャンになって

からも、自分の声は生まれながらの自分の声だと思って生きてきましたが、実は御霊の声と生まれ

ながらの肉の声、すなわち魔物の声の
二つの声があったのです。それを、正しく理解せずに、なお

続けて行くならば、私たちは悪魔に遣られっぱなしになってしまいます。ですから、ふと「どう

すればいいかな」と迷ったときは、頭で考えるのではなく、心に語りかける御霊の声も聞くべき

です。そして、
御霊の声を聞いたら、その声に従って行動を起こすのです。私たちの内には、肉の

思いもありますが、御霊の思いもあるからです。クリスチャンは普段、この二つの声を聞き、

自分にとって都合の良い声に従っています。だから、私たちは、そんな盲目的なやり方をやめ、

魔物の声と御霊の語られる声を聞いて、どちらの声に従うかを自分の都合で決めるのではなく、

「どちらが全能主の御心に適った声なのか」をよく考えて行動するように、自分の生き方を変えて

行くべきです。これを始めるには
勇気が必要です。なぜなら、御霊の声に従って行動を起こす

ことは、自分にとって都合の良いことばかりではないからです。むしろ、昔ながらの自分にとっては

嫌な選択になることがあるからです。また、「信仰によって全能主に信頼してやった」という経験が

なく、イメージが湧いて来ない人もいます。だから、ついつい、生まれながらに培ってきた肉の

判断で行動をしてしまうのです。しかし、それをやってしまうと、「全能主を信じている」と言い

ながら、やっていることは未信者と同じになり、それは本当の意味で信仰者とは言えない生き方を

しているのです。


(結)こういうわけですから、私たちは、今
までやってきた肉の判断をやめて、御霊による霊的な

判断をして行くべきです。それを具体的に始めて行くことが、悪魔に立ち向かうということです。

ただ頭で「悪魔に立ち向かって行こう」と思っているだけではなくて、実際にこれを始めなれば

なりません。その実践があって初めて、私たちは前に進むことができるのです。すると「全能主が、

私たちのふさわしい時に、高くして下さる」と言われます(第Ⅰペテロ5:6)。今までは、

「私たちが高くされるなんてことはないだろう」と考えていました。しかし、もしバイブルランドが

出来上がり、ノアの箱舟ミュージアムまで造り上げられて行ったら、すごいことです。だから、もし

私たちがそれを実現することができたら、私たちは全能主によって、高く上げられるのです。

これは、私たちの全能主にある霊的な志です。ですから、私たちはいつも御霊の声を聞き、

御霊による霊的な判断をして行く生き方を、具体的に始め出して行きましょう。

 


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