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2017年 NO.601 |
「ああ、物分かりの悪いガラテヤ人よ…御霊で始まったあなた方が、今になって肉の力で 仕上げるというのですか」(ガラテヤ3:1〜3)。長い間信仰生活を送って来たクリスチャン でも、肉的な思いでやっていることと、霊的な心で やっていることが区別できず、肉の行為を 霊の行為と勘違いしています。そういう人達は、霊的な証しを肉の熱心さに置き換え、いつも 自分の力に頼って行動しています。そこで、その生き方を否定されると反逆の精神を噴き出して しまうのです。「自分では一生懸命しているのに、それを否定されたら、教会へは行けません」 と反抗的な肉の心の虜になります。聖書には、「肉の行いは明白です」とありますが、 それは、「自分・自分」という意識が強く、全部自分の 考えに基づいて自分の力で結果を 出そうとする「我」があるからです。 この考え方は、生まれながらの人間はみな無意識の中に持っている性質であり、この考えは 当たり前になっています。しかし、私たちの霊的な考え方とは、自分の知恵に頼らず、絶対主の 御心の中で考え、判断し、行動しようとするのです。その例が「ジョージ・ミュラー」の生涯に あります。彼は「みなしごの父は絶対主である」(詩68:5)という御言によって、 孤児の父は絶対主であると確信し、孤児を引き取って養うことを決断しました。 そこでミュラー師は自分の力をあてにせず、又他人の力もあてにせず、全面的に絶対主に頼って 育てることを一生涯通しました。そして、1万人もの孤児を収容して世に送り出したのです。 彼は生涯に渡って、その日の食糧に困った時に、決して人に頼ったり、自分の算段に頼ったりは せず、どこまでも、ひらすら、父である絶対主にお願いし、絶対主にお任せしました。 このことによって父である絶対主は、一度も彼を裏切ることをされませんでした。この絶対主に 信頼する徹底した生き方 こそが、人間的な判断によらず、霊的な判断による、霊的な生き方 なのです。 人間的な判断で行動することを 封印し、いつも絶対主に聞いてやって行くへり下りの心を身に 付けるべきです。そのためには、「ミュラーさんの生き方を自分も始める」と飛び込んで行くの です。自分に出来る出来ないではなく、「これしか信仰的な生き方はない」と定めることです。 自分の肉的判断と聖書の霊的な判断を二股にかけて生きて行くなら、患難時代に入った時、 その信仰は崩壊します。なぜなら、患難時代は、自分の損得では生きて行けないからです。 患難時代は、へり下りの心しか通用しません。降り懸かる苦難を受け入れて行くしかないから です。だから、自分中心な信仰ではなく、絶対主を第一とする信仰へ定めて行きましょう。 |
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