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2017年 NO.598 |
「不義は、全て罪です。しかし、死に至らない罪もあります。」(第Tヨハネ5:17) この御言は、ヘブル書6章に記されている「信じた者でも、救いを失う」ということが、 現実のこととして、ヨハネの手紙の 中にも明白に記されていることの証拠です。 多くのクリスチャンは、自分の都合のいい読み方をして聖書を理解しようとしています。 確かに聖書には、同じヘブル書 10章を見て行くと、「キリストは一つのささげ物によって、 聖くされた者たちを永遠に全うされたのです」(ヘブル10:14)とあります。 だから、信じたクリスチャンの救いは永遠に保証されているのも事実です。しかし、聖書は、 いつも二面的な書き方がされています。だから、へり下り、一旦天からの光を受けて聖霊に 預る者となったクリスチャンは、「決して死に至る罪」を犯すべきではありません。 この死に至る罪とは、絶対主の交わりから離れてしまうことを意味します。即ち、キリストを 信じたクリスチャンも、「反逆の罪」によってキリストから離れるなら、キリストによって 絶対主との和解がされた後でも、救いを失います。コロサイ書1章23節によると、「ただし、 あなた方が揺るぐことがなく、堅く主を信じる心に踏み止まり…福音の望みから、 移り行くことがなければです。」とあるように、はっきりと信じた者への条件が記されて います。ですから、クリスチャンがこの条件を破れば、 天国の保証は完全に失います。 すなわち、「死に至る罪」とは、絶対主との交わりを断ち、教会から離れて行った者たち 全員を指します。なぜなら、「絶対主の御子の命が献げられた救いをないがしろにした場合、 どうして処罰を逃れることができましょう」(ヘブル2:3)。すなわち、絶対主を軽んじ、 自分の義を立てて離れて行った者は、「絶対主の御子を再び十字架につけてさらし者」にする ことになるからです。こういう人は「呪われ、遂には焼かれてしまいます」(ヘブル6:8)。 しかし、「死に至らない罪」もあります。それは、絶対主の中に留まり続けていても、 生まれながらに罪人にすぎない 私たちは、日々罪禍を犯してしまうからです。その罪は、 告白し続け、棚上げしなければ、御子イエス・キリストの完全な贖いの生け贄がありますから、 その不義の一つ一つからきよめて頂けます(第Tヨハネ1:7〜9)。 自分を立てて切れることがどんなに恐ろしい罪であるかを心に留めて行きましょう。 罪人はへり下り、決して切れることがあっては成らないのです。 |
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