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2017年 NO.583


主の再臨の時まで、耐え忍びなさい
(ヤコブ57)御霊様の声より

 ヤコブは「主の再臨が近づいているのですから、耐え忍びなさい。心を強くしなさい」

(ヤコブ58)と勧めています。主の再臨は、この地上の裁きの時であり、またクリスチャン

の贖いの時でもあります。ですから、主は「あなた方の名が天に記されていることを喜びな

さい」(マタイ1020)と言われているように、クリスチャンは主の再臨に焦点を合わせて

歩むべきです。クリスチャンの救いは、決してこの地上での救いではありません。

初期のローマ時代のクリスチャンや、日本でのキリシタン達は皆この世から排斥されて行き

ました。地下墓地に追いやられ、ライオンの餌食となって殺され、松明(たいまつ)代わり

になって沿道に(さら)され、火あぶりとなって、数多くのクリスチャンが拷問されて、

殉教して行きました。同じように、これからの時代も患難時代の迫害に向かって着々と準備

が進められています。しかし、クリスチャンは、どんな時代が来ても、自分で自分の命を

救おうとして、守る必要はありません
。それが、今まで学んで来たことであり、多くの先代の

クリスチャン達が通って来た道です。確かに、絶対主は奇跡や癒しも行われます。

しかし、それは絶対主の御力が現される為のもので、人間の根本的な救いではありません。

癒されても結局は死ぬ命です。

ということは、クリスチャンが迫害され、ボロボロにされ、くちゃくちゃにされても、

決して敗北ではありません。そこには苦しみも、痛みも伴うでしょう。

しかし、迫害されて殺されるなら、クリスチャンとして光栄な事と思って下さい。

又特権だと思って下さい。結局全ての人は死ぬのですから、キリストに賭けて死ねるなら

クリスチャン冥利、いや罪人冥利に尽きるのです。罪人でも、そのようにして最後を飾れる

なら、命を頂いた価値があります。勿論そんなに生易しいものではありませんから、

信仰の力が必要です。しかし、どこまでも自分の命を救う方向に心を向けることのない

ように、心掛けるべきです。ですから、今の時に「迫害されても、殺されても、いいんだ」

と教えられていることは、本当に幸いなことです。多くの教会が真逆の事を教えられている

のですから。また、今の時代の動向にも目を向けて行きましょう。世界の平和と安全を

約束する「荒らす憎むべき者」が必ずやって来ます。黙示録の時代が確実に一歩一歩

近づいています。しかし、こんな罪人にもキリストの贖いがあるのですから、自分を守る

必要はありません。この命は主に任せ、どんな時代がやって来ても、罪人であることを

土台とし、最後まで天を見上げて歩んで行きましょう。主の再臨は確実に一歩一歩近づいて

いるのですから。 




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