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事 務 室
2017年
NO.583
『
主の再臨の時まで、耐え忍びなさい
』
(ヤコブ
5
:
7
)御霊様の声より
ヤコブは「主の再臨が近づいているのですから、耐え忍びなさい。心を強くしなさい」
(ヤコブ
5
:
8
)と勧めています。主の再臨は、この地上の裁きの時であり、またクリスチャン
の贖いの時でもあります。ですから、主は「あなた方の名が天に記されていることを喜びな
さい」(マタイ
10
:
20
)と言われているように、クリスチャンは主の再臨に焦点を合わせて
歩むべきです。クリスチャンの救いは、決してこの地上での救いではありません。
初期のローマ時代のクリスチャンや、日本でのキリシタン達は皆この世から排斥されて行き
ました。地下墓地に追いやられ、ライオンの餌食となって殺され、
松明
(たいまつ)
代わり
になって沿道に
晒
(さら)
され、火あぶりとなって、数多くのクリスチャンが拷問されて、
殉教して行きました。同じように、これからの時代も患難時代の迫害に向かって着々と準備
が進められています。しかし、クリスチャンは、どんな時代が来ても、
自分で自分の命を
救おうとして、守る必要はありません
。それが、今まで学んで来たことであり、多くの先代の
クリスチャン達が通って来た道です。確かに、絶対主は奇跡や癒しも行われます。
しかし、それは絶対主の御力が現される為のもので、人間の根本的な救いではありません。
癒されても結局は死ぬ命です。
ということは、クリスチャンが迫害され、ボロボロにされ、くちゃくちゃにされても、
決して敗北ではありません。そこには苦しみも、痛みも伴うでしょう。
しかし、迫害されて殺されるなら、クリスチャンとして光栄な事と思って下さい。
又特権だと思って下さい。結局全ての人は死ぬのですから、キリストに賭けて死ねるなら
クリスチャン冥利、いや罪人冥利に尽きるのです。罪人でも、そのようにして最後を飾れる
なら、命を頂いた価値があります。勿論そんなに生易しいものではありませんから、
信仰の力が必要です。しかし、どこまでも自分の命を救う方向に心を向けることのない
ように、心掛けるべきです。ですから、今の時に「迫害されても、殺されても、いいんだ」
と教えられていることは、本当に幸いなことです。多くの教会が真逆の事を教えられている
のですから。また、今の時代の動向にも目を向けて行きましょう。世界の平和と安全を
約束する「荒らす憎むべき者」が必ずやって来ます。黙示録の時代が確実に一歩一歩
近づいています。しかし、こんな罪人にもキリストの贖いがあるのですから、自分を守る
必要はありません。この命は主に任せ、どんな時代がやって来ても、罪人であることを
土台とし、最後まで天を見上げて歩んで行きましょう。主の再臨は確実に一歩一歩近づいて
いるのですから。
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