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2017年7月9日
『自分の心の中に、恐ろしい反逆の罪があることを知り、
悔いし砕かれた心を持って、どこまでもへりくだる』


ローマ13:2他

(起)  「自分の心の中に、恐ろしい反逆の罪があることを知り、悔いし砕かれた心を持って、

どこまでもへりくだって行くこと」について、学びたいと思います。


(承) さて、私たちは、ここ最近の学びと御霊さまの促しを通して、「自分の中には、

生まれながらに反逆の罪の棘が刺さっており、全能主に逆らう罪の根がある」ということに

気付かされて、それをはっきりと認めるように導かれました。しかし、この反逆の罪の棘が

自分の心の中にあることを知って、「これからはもう反逆しない」と決めたとしても、人から

責められると、自然に出て来てしまいます。ですから、「この罪は一番恐ろしい罪で、絶対に

表してはいけない」ということは十分わかっていても、その罪を表してしまう可能性があるの

です。なぜなら、その反逆の罪の棘は、天に行った時に初めて抜かれるのであって、この地上で

その罪が消えてしまうことは、決してあり得ないからです。ですから、クリスチャンで

あっても、「全能主に反逆して、永遠の命を失う危険性を常に持っている、どうしようもない

罪人である」という事実には、変わりはないのです。


(転) しかし、全能主は、「一度失敗したらもうダメ」とは言われません。「悔いし砕かれた

魂を軽んじない」と言われた全能主は、もし私たちが失敗し罪を犯しても、もう一度、御言葉の

前に出て、「自分が間違っていました」と、罪を正直に認めてへりくだるならば、「そこから

もう一度始めなさい」と言って下さるのです。私たちは、それをこれから一生涯して行く必要が

あります。なぜなら、先程も申し上げたように、私たちの罪がなくなることは一生涯

あり得ませんし、反逆の罪の棘も一生涯刺さったままだからです。その罪の棘があるが故に、

それが私たち自身の心の中の痛みとなっていることも事実です。そして、「感情が切れて、

それを表に出してしまう」ということも、ないとは言い切れないでしょう。しかし、その時に

心底悔い改め、全能主に服する心を表すならば、私たちはまだ全能主の前に生きる道が

あります。
全能主は、「一度罪を犯したらダメ」という、一面だけを見られるお方では

ありません。例えば、第Ⅰコリント5章1節から見て行きますと、コリントの教会では姦淫の罪の

問題がありました。それは異邦人の間にもないほどのものでした。だからパウロさんは、

「そのような者の肉体を滅ぼすために、彼らをサタンに引き渡した」(第Ⅰコリント5:4)と

言っています。しかし、次の5節には、「その霊が主イエスの日に救われるためです」と

あります。異邦人の間にもないほどの姦淫の罪を犯し、サタンに引き渡されたにも関わらず、

「その霊が主イエスの日に救われる」と書いてあるのは、驚きです。しかし、聖書には、

このように
二面性がきちんと記されているのです。実は、そこに全能主のお心があります。

第Ⅱコリント2章6節を見ますと、「その人にとっては、既に多数の者から受けた、あの処罰で、

もう十分なのですから、・・・その人を赦し、また慰めてやりなさい」とありますので、ひょっと

すると、姦淫の罪を犯してしまった人は、その罪を本当に悔いて苦しんだの かもしれません。

すなわち、悔いし砕かれた心を持ったならば、全能主は「悔いし砕かれた心を蔑まない」と

言われていますから、罪を犯して切れても、悔いて全能主から離れることをしなければ、

心底悔い改めてへりくだる者には救いがあるのです。それは、私たちも同じです。たとえ

全能主の前に罪を犯してしまったとしても、そこで悔いし砕かれた心を持つならば、全能主は

お赦し下さるのです。しかし、多くの人は、失敗したとき、「自分はもうダメだ」と言って、

自分が犯した罪を認めてへりくだることをせず、教会から離れて行きます。しかし、それを

したら、本当に全能主との繋がりが切れてしまい、死に至る罪になってしまいます。


(結) ですから、私たちは、もし全能主の前に罪を犯してしまったなら、その度毎に悔いて、

へりくだって行くべきです。
それをして行く遜りがあるなら、御国への門は決して閉じられる

ことはありません。今回、一人一人が、罪の原点を御霊さまによって指し示され、御言葉に

よって捉えられました。しかし、それでも罪を犯してしまう可能性は、まだまだあります。

私たちは、あらゆることにおいて、「罪を犯さない」と言い切ることはできません。私たちの

罪の棘は、まだ取り除かれていないからです。それは御国に行くまで取り除かれません。

だから、
私たちは、御国に迎え入れられるその時が来るまで、悔いし砕かれた心を持ち続けて

行かなければならないのです。
どうか、一人一人が、「自分の中に恐ろしい反逆の罪の棘が

ある」ということを自覚し、悔いし砕かれた心を持って、どこまでもへりくだって

行きましょう。そして、その心を持って、最後まで信仰を全うしようではありませんか。 

 
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