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2017年7月2日

『堅く主を信じる心に踏み留まるためには、
全能主の前における本気の定めが必要である』


コロサイ1:15~23

(起)  コロサイ書1章23節の御言葉から、「堅く主を信じる心に踏み止まるためには、

全能主の前における
本気の定めが必要である」ということを学びたいと思います。

(承) さて、最近は、「いくらイエス様を信じていると告白したとしても、全能主との

交わりを切ってしまうなら、キリストとの関係も切れて、贖いの救いを失うことになる」という

ことを学びました。今回のコロサイ書にも、そのことが非常に明確に記されています。コロサイ

1章23節には、「堅く主を信じる心に踏み止まり、・・・移り行くことがなければです」とあり

ます。ところが、生まれながらの私たちの心には、アダムの子孫として自ら全能主との交わりを

切ってしまう恐ろしい反逆の罪の棘が刺さっています。21節を見ますと、「あなた方は、

かつては悪い行いをして、全能主から離れ、心の中で 全能主に敵対していました」とあります。

これは、生まれながらの人間は、「皆、反逆の罪の棘を持っている」ということです。クリス

チャンになっても、この棘は抜かれていません。もし、私たちがその反逆の心を表してしまったら、

全能主との交わりは切れ、天の御国の繋がりも切れてしまうのです。だから、私たちはその

「反逆の罪」だけは絶対に表してはいけないのです。つまり、私たちがどんなに罪を犯すことが

あったとしても、全能主に対しては絶対反逆せず、ただ遜って行くべきです。そして、何として

でも、全能主との交わりの中に留まり、堅く主を信じる心に踏み止まらなくてはなりません。


(転) では、「全能主との交わりの中に留まり、堅く主を信じる心に踏み止まる」ために、

私たちがすべきことは何でしょうか。それは、絶対に反逆の心を表さないと、「全能主の前に

定めておくこと」です。私たちは「全能主に反逆したら、自分は救いを失うな。だから注意して

行こう」と思うくらいでは、自分の反逆の精神を納めて行くことはできません。この罪は根が

深く、反省ぐらいでは「これからはこうして行きます」と言っても、言うだけで終わってしまい

ます。だから、その程度の「決め事」は、いざとなった時にはすっかり忘れて、簡単に逆らう

思いが出て来るのです。人間の決め事は、その場になると感情が働き「砕いて行く」と決めて

いても、感情的になって「嫌だ、鬱陶(うっとう)しい」という思いが先立ち、反逆の思いは自分の権利

として出て来ます。
だから、「逆らわない」という定めを、初めから心の中に持っていなければ

なりません。しかも、その定めは全能主の前でしたものでなければなりません。全能主に対して

定めた者なら、自分の感情で変えることは出来ないからです。
だから、「これを破ったら自分は

終わりだ」と分かりますから、「そこで 堅く踏み止まることができる」のです。この全能主に

対して決めさせられる決断でなければ、本気の決断は人にはできません。人は、たとえ自分で

決めたとしても、自分に対しては甘く、いい加減だからです。それは、私たちの心の奥底には、

権威に逆らう思いがあり、反逆する罪の棘があるからです。これは、決して否定できません。

だから信じたとしても、
私たちは、いつ信仰から離れてしまうか分からないという、自分の怖さを

知っています。
だから、罪を犯した後で叱責されると、「自分はやっぱり、やっていけない」と

思って、信仰から離れようとするのです。そして、それを出したら終わりだと分かっていても

出してしまう、その恐ろしさも抱え込んでいます。だからこそ、私たちはどこまでも遜ることを

学んで、御霊さまの助けと導きによって、全能主の前で「どんなことがあっても、反逆して

切れてはいけない」という定めをしておかなければなりません。
それは、どこまでも遜って

行くことです。この定めがなくて、信仰を全うすることは出来ません。
それを定めても、反逆の

罪の棘が消えるわけではありませんが、この定めがあれば、「これだけは絶対に出してはいけない」

という警戒心が生まれます。
この心を全能主の前に定めて、初めて人間の心は少しずつ変わって

行くのです。
自分自身の熱意だけで決めたことは長続きしません。自分が「できない」と思ったら、

簡単にやめてしまうからです。それが、私たちの子供の頃からのやり方でした。


(結) ですから、「決め事」というのは、自分の過去の反省や、自分自身の熱意によって

決めるものではありません。 
全能主の前に出て、しっかりと聖書を読み祈り、恐れと不安から

「全能主にあって、これしかない」と悟って定めることです。そして、「分かりました。自分は

この心でやって行きます」と決めて、始め出すことです。
そのように全能主の前に決めた事は、

肝に銘じられますから、それは消えることはありません。私たちは、これをしなければ、

いくら自分で反省して、自分の熱意で「こうする」と決めても、いざとなったら、ペテロさんと

同じようにひっくり返してしまいます。「決め事」とは、常に全能主の前にすることです。

この「決め事」なしに、私たちは踏み止まることはできません。どうか、御霊さまの導きの中で、

全能主に対して本気の定めを行ってください。そして、全能主の前に決めたその心で、

歩み出しましょう。

 


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