(起) 黙示録7章を通して、「患難時代において、殉教する者こそが『勝利を得る者』である」
ということを学び、そのために必要な事は、「自意識を横に置き、イエス様を見上げる心」で
ある、ということを学びたいと思います。
(承) さて、この黙示録の著者であるヨハネは、まず七つの教会に手紙を書き送りました。
エペソの教会から始まり、最後はラオデキヤの教会で終わりますが、それぞれの教会が
置かれている状況は様々です。例えば、エペソの教会には、「初めの愛から離れてしまった」
という問題点があり、ペルガモの教会には、「サタンの座があり、悪霊の世界に自分たちの身を
置いている」という問題点がありました。しかし、最終的に記されていることは、「そこから
悔い改めて、『勝利を得る者』となりなさい」ということです。それが黙示録のメッセージ
であり、黙示録が書かれた目的です。そして、先程お読みしました7:9から見て行きますと、
白い衣を身にまとった大勢の群衆が出てきます。彼らは、大きな患難を通って来た人たち、
すなわち、大きな患難の中で命を落として行った殉教者たちのことです。(7:14)彼らは
天に引き上げられ、全能主との幸いな交わりの中に置かれています。(7:15~17)
ですから、患難時代においては、まさに彼らのような殉教者こそが、「勝利を得る者だ」という
ことが分かります。
(転) では、「患難時代において、殉教することの出来る心」とは、どのような心でしょうか。
それは、「自意識を横に置き、私たちを贖って下さったイエス様を見上げる心です。」
患難時代では、現実にサタンが私たちに戦いを挑んで来て、私たちに勝つことが許されて
います。(黙12:7)さらに、天変地異などの災いも起こってきます。私たちはその記事を
読むと、「自分は我慢できるだろうか。逃げてしまうのではないだろうか」と不安になります。
それは、弱い自分を抱え込み、弱い自分を充分知っているからです。そして、弱い自分を
知りつつも、「自分が何とかしなければいけない」と思って、自分の力に根拠を持とうと思う
からです。しかし、私たちは罪人であり、自分には頼れない者だからイエス様を信じたはず
なのに、なお弱い自分、ダメな自分を見て、患難時代に勝利しなければならないと思ってしまう
という事は、「私たちを救って下さったイエス・キリストの贖いを受け入れていない」という
ことになり、自分は本物の信者ではないということになってしまいます。すると、「勝利を
得る者」とならないことを、認めることになってしまいます。では、私たちはどうしたら
良いのでしょうか。確かに生まれながらの自分自身は、幼い頃から弱く、何も出来ない自分で
あることは事実ですが、クリスチャンは、その弱い自分を抱え込む必要はありません。
なぜなら、そのような何も出来ない罪人である私たちを救うために、イエス様がこの地上に
来て下さった贖いがあるからです。だから、私たちは、私たちを贖って下さったイエス様を
見上げることによって初めて、道が開けてくるのです。それが患難時代での私たちの生き方
です。すなわち、弱い自分、何も出来ない自分に意識を向けるのではなく、全能主である
イエス様を見上げ、イエス様に意識を向けた時に、「自分は弱い」とか、「何も出来ない」と
いう自分は横に置かれ、「自分は弱くとも、こんな私をイエス様は救って下さった。だから、
そのイエス様ならお出来になる」という、イエス様に信頼する心が広がって来るのです。
この心の平安によって、自分の命を委ねようという思いが生まれ、殉教の道が開けてくるの
です。
(結) これから実際に患難時代が始まったら、私たちにとって嫌なことや、恐ろしいことが
次から次へと起こって来ます。すると、つい私たちは不安になり、「自分はもうダメだ」という
中に入りがちです。しかし、その時こそイエス様の方に意識を向け、イエス様を信じ仰ぐことに
よって、自分に向けられていた意識が取り去られ平安が来ます。私たちは、消極的な方向には、
簡単にはまってしまいますが、そこで敢えてイエス様を見上げる習慣を今の内に身に着けて
おくのです。なぜなら、聖書の黙示録には、患難時代に入ったならば、「今から後、主にあって
死ぬ者は幸いである」(黙14:13)と書かれてあるので、主を見上げれば、「それで
いいのだ」と確信できるからです。即ち、主にあって死ぬことが、「死に至るまで忠実であれ」
と言われた、「勝利を得る者」であることが、はっきりと心に入って来るからです。私たちは、
「信じるがゆえに死ぬ」のです。それが、「悪魔に突きつけるイエス様にあって勝利を得た者」
だからです。だから、ただイエス様を見上げ、イエス様の方に自分の意識を向けることに
よって、「この命は失ってもいいんだ」という気持ちになれるのです。「患難時代において命を
落とす」ということは、イエス様を見上げなければ絶対に出来ません。どうか、「自意識を横に
置き、イエス様を見上げる」ということを、日常の中で習慣的に実践して行きましょう。そして、
これからやって来る患難時代の中で、勝利を得る者となろうではありませんか。
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