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2016年 NO.571 |
空っぽの器に油が満たされるとは、「主に信頼すること」を実生活の中で具現化していくこと です。主に信頼することを具現化するというのは、私たちはもともと空っぽの器なので、自分の 力ではどうにもなりません。そこで、クリスチャンは、諦める方向に向うのではなく、主に頼る 方向、すなわち主に信頼して前向きに求め続けて行く方向へと、心を変えて行くべきです。 主への信頼は、自分の思い通りに事が運んでいる時は、何の問題もなく、頼り続けて行くことが 出来ます。しかし、自分の思い通りにならないとき、願い通りに事が運ばない時は、自分の考え に頼って、手っ取り早く実現しようとします。すると、主への信頼は、形だけのものになり、 主への信頼は、聖書の言葉の上だけのものになってしまいます。しかし、私たちは、「聖書に 書いてあることは、今日も起る」と信じて歩み出した者です。ならば、どこまでも主に 信頼して、主の御言葉通りになるということを自分の生き様を通して表わして行かねば なりません。それは、あくまで「絶対主の主権によって事が成されること」を願って行く 生き方です。すなわち、「先ず、絶対主の国と絶対主の義を第一に求めて行く」生き様です。 自分のこだわりと、自分の感情は二の次です。この生き方をどこまでも貫いて行ったのが パウロさんであり、ジョージ・ミュラーさんです。私たちも、彼らの生き様を1つ2つと 実行したとき、絶対主は安心して御自分の力を注がれるでしょう。我々の教会に託されている 働きは、余りにも大きいので、それを始め出すためには、「何を第一にするか」という心を はっきり表わして行かなければ、父は安心して託すことが出来ません。「まず、自分ありき」 ではなく、空っぽの器ですから「まず絶対主ありき」の生き様を具現化して行きましょう。 そのために、自分のあれこれ考えるこだわりを捨て、白紙の心で、受け止めて、実行して行きま しょう。我を砕くために、ここまで教えられて来たのですから、主に信頼し、父の心に応えま しょう。主は成し遂げて下さいますから。 |
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