聖書には、「主イエス・キリストを信じなさい。そうすれば、あなたとあなたの家族は救われます。」(使16:31)とあります。 ですから、「信じる者は、救われて新しい天と新しい地。しかし、信じない者は、罪の報いを受けて地獄」と、聖書の一面だけを見て、自分は「信じているから、パラダイスだ」と確信している人がいます。しかし、昔は信者であったという人が世界には幾万人とおり、未信者同然の生活をしているのに、「私はイエス様を信じているから」と言って安心している人々がいます。果して、口で「信じている」と言えば、天の御国に入れてもらえるのでしょうか? この場合の判断は、本物の信仰があるかどうかです。聖書の中には、イエス様を信じて弟子となった人々が、主が「わたしは命のパンです」(ヨハネ6:48)と言った時に、「これは、ひどい言葉だ。誰がそんなことを聞いておられようか」と言ってイエス様から離れて行きました。そこで、今日の信者に対して、主が言われている言葉があります。 「わたしよりも、父または母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたし より、
息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません」(マタイ10:37〜38)とあります。すなわち、全世界のクリスチャンに対して、イエス様より「自分を愛し、家族を愛し、仕事を愛し、お金を愛し、恋人を愛し、自分の都合をイエス様より第一にする者は、ふさわしくない。」と言われているのです。 又、「イエス様を信じているというなら、自分の十字架を負って従って来なさい。すなわち、自分の死を覚悟して従って来なさい」と言われています。そこで、信じているというクリスチャンの多くは、このような生き方、信じ方をしているでしょうか? これを聞いたクリスチャンは、「そこまで求められたら自分は信じれない。そんなひどい言葉をどうして信じられようか」と言って、自分の損得に立って主から離れて行くことでしょ う。イエス様は、主から離れて行った人に「あなた方の父は悪魔です」と、信じたユダヤ人たちに言われました。(ヨハネ8:31・8:44)どうしてでしょうか? それは信じたからと言って、外なる人(肉)に従い、内なる人(霊)の声に従っていないからです。 外なる人は、自分勝手です。ただ自分さえ良ければいいのです。しかし、内なる人の声は、自分の命のことよりも、イエス様を第一にするように、語りかけています。この内なる人の声が自分の生き方となり、自分の心からの願いとなるように祈って求めて行きましょう。
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