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2015年 NO.531



 

「二人の強盗の言い分」


  
 

 イエス様が十字架に付けられた時、二人の強盗も両脇に十字架に付けられました。そして、その一方の者が言いました。「お前は救い主だろー。救い主ならおれたちを救ってみろ。そして、この十字架から降ろしてくれ。そうしたら、お前を信じるから」と、彼は処刑から救われたい一心で悪態をきました。ところが、もう一方の者は、「何を 言ってるのだ。おれたちは、自分が犯した犯罪の故にこの裁きを受けているのだから当然だ。しかし、この方は何も悪いことはしていない。」そして、イエス様に向って「主よ、私は強盗を犯した罪人です。でも、あなたが天の御国の位いに着かれる時、わたしのような者もいたことを、心に覚えて下さい」とお願いしました。すると、イエス様は「あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいます」と仰ったのです。どうしてでしょうか? 人間は、もともと罪人として生まれてきました。罪を犯すことなど、親から教えられて育ったわけではありません。しかし、物心着いた時には、すでに心の中には、罪がありました。その罪が生まれながらにあったので、つい罪人の行動を取ってしまうのです。また言葉の過ちを犯すのです。まさに、人間は生まれながらに罪人です。煮ても焼いても食えない罪の塊です。ところが、絶対主は、考えられました。「罪人が、本当に罪人であることを認めた者たちに対して、『わたしは、  自分のひとり子イエスをこの地に遣わす。そして、イエスによって人間の罪の贖いをさせる。』だから、救い主であるキリストに望みを置き、『私は罪人です。』と正直に認めた者たちを救う」と絶対主は考えられたのです。ところが、強盗を犯しても、自分の罪を認めないばかりか、かえって逆切れして「おれを救ってみろ」と悪態をくのです。 罪人が逆切れしたら、救いはありません。この逆切れはクリスチャンであってもやります。自分の罪を指摘されると顔付きを険しくしたりむくれたり反発したり弁解したりして、「じゃー、どうすればいいの」と反抗してくるのです。クリスチャンは、「義人はいない。一人もいない」という主のみことばが心に響いて信じたはずです。罪人のままでは地獄だからです。なのに、未だに罪を指摘されて反発するのはどうしてでしょう。「怒られるのが嫌と思う心」とか「罪を認めるとプライドが傷付くので素直になれない」と言うなら、「罪人が裁かれて地獄に落される」ことをバカにしていることになります。もし、本気で罪人に裁きがあることを自覚したら、誰でもへり下るはずです。私たちの成すべきことは、心の中の罪は正直に認めて、外側の罪の責任は負っていくだけです。こんな最低限の事柄位い、当然ではないでしょうか? 罪人が救われるためのハードルは、極めて低いのです。罪を指摘されて、へり下れないのは、悪態をいている強盗と同じです。ですから、罪人が罪を認めることは当然ですから、へり下って行きましょう。




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