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2015年 NO.529



 

パラダイスに入れて頂く特例


  
  多くのクリスチャンの人々は、イエス様を信じた者は、例外なく天のパラダイスに入れていただけると信じています。しかし、聖書には、「たとえイエス様の御名によって預言し、イエス様の御名によって悪霊を追い出し、イエス様の御名によって多くの奇蹟を行ったとしても、   『わたしは、あなた方を全く知らない。不法を行う者ども。わたしから離れ去れ』」(マタイ7:22〜23)と言われています。(例 イスカリオテユダ 悪霊を追い出す権威をもらった。マタイ10:1) ここで、「イエス様の御名で行った」ということは、イエスキリストを救い主として信じた通常のクリスチャンのことを言っています。(例 しかし、たとえ、信じたクリスチャンと言えども、自分の行った手柄を主張したとしても、イエス様から「わたしは、あなたを知らない・・・わたしから離れ去れ」と言われてしまいます。なぜでしょうか? 生まれながらの罪人が行った行いは、たとえ主の為であったとしても、罪人が行った手柄によって、生まれながらの罪が消え去ることはありません。どこまでも生まれながらの罪人である事実は永遠に変りません。ですから、生まれながらの罪人が、天に入れて頂く条件は、どこまでも「罪人は、罪人である」という事実をへり下って自覚し、そのへり下りの心をもって、絶対主の特例に預るしかありません。その特例とは、罪人が天に入れて頂く特別に設けられた例外に預ることです。それは、罪人がイエスキリストの贖いを、へり下って受け入れることです。ですから、「罪人がイエス様の贖いを信じましたから、約束通り、天のパラダイスに入れて下さい」と当り前のように要求すれば、主は「わたしは、あなたを知らない。わたしから離れなさい」と白き御座の審判で裁かれます。私たちは、生まれながらの怒りの器です。その怒りの器に注がれた憐れみは、信じた者の当然の権利のように主張することはできません。それは、救いは、へり下った者に対する特例であることを心に刻み込んでおきましょう。


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