クリスチャンにとって、「自分のしたいと思う善を行わないで、したくない悪を行って
しまう」(ロマ7:19) ことは、自分が嫌う道です。もし自分の嫌う道なら、止めたら
いいのです。しかし、自分の嫌う道もあえて行きたいと思うこともあるでしょう。
それが、たとえ悪いと分っている道であっても、そちらを好めばあえて選択するのです。
人は、良くても、悪くても、自分の好む道に行く者だからです。
しかし、悪い道の行き尽く所は、苦しみと苦悩と惨めさしかありません。そこは、暗黒の世界
です。では、クリスチャンにとって好む道とは、どんな道でしょうか?
それは、イエスキリストの喜ばれる事を選ぶ道です。なぜなら、そこには「人知では到底測り
知ることのできない、絶対主の平安が心の中に留まる」(ピリ4:7)からです。
この道こそ、クリスチャンの霊の本心が喜ぶ道です。この道を選択することが、絶対主の道に
歩む道です。しかし、この霊の本心の道を選択するのが嫌なら、止めてもかまいません。
あくまで、その人の自由意志によって、肉の道を選ぶのですから、その行き尽く終着駅は、
666の待ち受ける暗黒の世界しかありません。私たちには、この二つの道しかありません。
人は、好む道を選ぶ自由意志を持っているのですから、その結果も当然自分の選んだ責任に
よって刈り取ることになります。いつも「できない」と思ったら不安になって、霊の本心の
道を選ぶか、肉の本心の道を選ぶかは、結局自分の自由意志の選択にかかっています。
しかし、私たちの戦いは、血肉に戦いをしかけることではありません。自分の本心が、
「霊の本心」か「肉の本心」かを選ぶ心の動きだけです。クリスチャンであるなら、「人知
では測り知れない平安」を得る「霊の本心」こそ、自分の本心であると定めるべきです。
本心が定まれば、繁敷教会の方のように、後のことは全て主に委ねて、主の道に真っ直ぐ
進んでいけばいいのです。この道に進む者に平安あれ!!
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