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2014年 NO.494



好き嫌いの道を選ぶ自由意志



 クリスチャンにとって、「自分のしたいと思う善を行わないで、したくない悪を行って

しまう」(ロマ7:19) ことは、自分が嫌う道です。もし自分の嫌う道なら、止めたら

いいのです。しかし、自分の嫌う道もあえて行きたいと思うこともあるでしょう。

それが、たとえ悪いと分っている道であっても、
そちらを好めばあえて選択するのです。

人は、良くても、悪くても、自分の好む道に行く者だからです


しかし、悪い道の行き尽く所は、苦しみと苦悩と惨めさしかありません。そこは、暗黒の世界

です。では、クリスチャンにとって好む道とは、どんな道でしょうか?

それは、
イエスキリストの喜ばれる事を選ぶ道です。なぜなら、そこには「人知では到底測り

知ることのできない、絶対主の平安が心の中に留まる」(ピリ4:7)からです。

この道こそ、クリスチャンの霊の本心が喜ぶ道です。この道を選択することが、絶対主の道に

歩む道です。しかし、
この霊の本心の道を選択するのが嫌なら、止めてもかまいません

あくまで、その人の自由意志によって、肉の道を選ぶのですから、その行き尽く終着駅は、

666の待ち受ける暗黒の世界しかありません。私たちには、この二つの道しかありません。

人は、好む道を選ぶ自由意志を持っているのですから、
その結果も当然自分の選んだ責任に

よって刈り取ることになります
。いつも「できない」と思ったら不安になって、霊の本心の

道を選ぶか、肉の本心の道を選ぶかは、
結局自分の自由意志の選択にかかっています。

しかし、私たちの戦いは、血肉に戦いをしかけることではありません
自分の本心が、

霊の本心」か「肉の本心」かを選ぶ心の動きだけです。クリスチャンであるなら、「人知

では測り知れない平安」を得る霊の本心」こそ、
自分の本心であると定めるべきです

本心が定まれば、繁敷教会の方のように、後のことは全て主に委ねて、主の道に真っ直ぐ

進んでいけばいいのです。この道に進む者に平安あれ!!



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