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2014年 NO.504 |
しかし、道理が分ることと、納得するということは別ものです。なぜなら、道理が分っても、 心が付いていかなければ、人は信じようとしません。それは、信じる決定権は、一人一人の 人間の自由意志の中にあるからです。ですから、たとえ道理に反していても、又社会的に 無法なことでも、本人が良しとすれば、受け留めて信じてしまいます。ここが恐ろしい ところです。ですから、全て道理が正しければ、みんなその道理に従うかどうかは別もの です。 れば、自分の存在の背後に創造主がおられることが分かります。すると、この創造主を敵に 回したら終りです。とすれば、全てのクリスチャンが無条件で自分を創造主に明け渡して 従って行く者となるのでしょうか? 現実は「NO」です。人間は、それぞれ特有の自由意志を持っていますので、無条件で 従うことを嫌います。ですから、主を信じたら、即主に従って行く者となるというのは、 夢物語でしょう! そこで、私たちは、自分の自由意志をどう働かせるかに、全てがかかって 来ます。私たちは、頭で分っても、自分の自由意志が納得し、受け留めなければ、無条件で 従うことはできません。しかし、「献身」の決断は、無条件で従うことを決めて、自分の 自由意志を働かせることですから、その決断は尊いのです。この献身の決断は、自分が 罪人であることを心底分った時に、起こります。なぜなら、この自由意志を働かせる対象が、 自分から絶対主に変るからです。自分が心底罪人であるなら、自分のために自由意志を 働かせても仕方ありません。だから、この自由意志は、私の命の創り主に対して働かせる ものだと分って来ます。その時、「まず第一に絶対主の国と、絶対主の義を求めなさい」 という御言が、心の中に入ってくるのです。自分が、心底罪人であることを主の御霊に よって悟らせて頂き、自分の損得のために自由意志を使うのではなく、主のために用い ようと決断する心へと変えていただきましょう。 |
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