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2014年 NO.503


絶対主の国と絶対主の義を第一に求めよ
(マタイ6章33節)


  なぜ、私たちは、絶対主の義を第一に求めるのでしょう? それは、私たちの命が偶然の

産物ではなく、 創造主によって与えられた命だからです。人間の命の仕組程、驚くべき

繊細な構成を持ったものはありません。人体の宇宙と言われる程、その組立てと自動制御は、

人の手によって造られるものではありません。 

 毎日、休まず働き続ける心臓と、地球2周半もある血管網が、絡まずに60兆個の細胞に

栄養と廃棄物を運搬するシステムは、いったい誰の手によって仕組まれたのでしょうか? 

これは、人間存在の背後に創造主がおられるという確かな証拠です。ですから、人間はこの

創造主を敵に回したら終りです。
私たちクリスチャンは、この事実の上に立って生きて

います。それゆえに、人間の考えや思いが第一ではなく、絶対主の考え、思い、計画こそ

第一で、この方の目線で生きていくのがクリスチャンです。
私たちが絶対主の考えを知る

ためには、聖書があります。そして、この聖書こそが私たちへのメッセージ、「真実・教え

・希望」です。そして、この聖書の考えが人間の歴史や常識に左右されない、正しい判断を

生み出す元です。ならば、いつも聖書を通し、絶対主目線で全てを見ていくのです。


そして、善と悪、罪と罰の基準は全て聖書ですから、このことが明確に心に入って行くなら、

私たちは絶対主に焦点を合わせて生きて行けます。心を尽くして絶対主に立つことが

当り前となって行けるように、人間の目線は捨てて行きましょう。これが患難時代への

備えです。


     

 
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