第Uテモテ4章6節〜8節
@ 今朝は、「褒め称えられるべきお方は主であり、主のみが主人公である。」という
ことについて学び、その信仰の生き方を確認したいと思います。
A さて、今回の旅行を通して、心の中に留められている御言があります。
それは、ヨハネ三章三〇節「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」です。
これは、「自分の仕事を全うできたら、それでいいんだ。」というヨハネの心です。今回の
旅行では、日本における「いのちありがとうの会」の働きがスムーズになっていくために、
AiGとのパイプを強くしたいという堀越先生の願いを、正確にお伝えする任務がありまし
た。そこで私は、自分たちの人間的な願いは一切捨て、ただ「堀越先生の願いを分かって
貰うことができれば、自分たちのことはどうでもいい。」という思いで、堀越師の使いに
徹しました。そして、主は、その任務を120%成し遂げて下さいました。ですから、
私は、これで十分です、という思いで満足して帰ってきました。これこそ自分の任務が
果たせたら、「私は衰えていい。」というヨハネのこころです。この生き方こそ、私と
私たちの教会の信仰の姿勢であり、それは、「主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」
という信仰の表現だと思うからです。
B では、グランドキャニオンとAiGの研修旅行を振り返りながら、その信仰の心につい
て考えてみましょう。今回の旅行を一言で言うならば、「主がすべてのことを取り計らい、
主が全ての事を良くして下さった。」に尽きます。(これから働きの土台となる者たちが、
皆、この経験をしたのです!)。主は、その時その時、必要な人物を必要な場所にお立て
下さいました。それによって、待ち時間のムダが全て省かれ、時間を浪費することもなく、
限られた時間の中で計画された場所を全て見て回れたのです。それは、人間の計算や思惑を
超えて、全て主が良くして下さったからです。もし、自分の損得や自分の計算で動いていた
なら、これほどの恵みを味わうことはなかったでしょう。そして、こじんまりとした旅行で
終わっていたことでしょう。もし、自分と主の考えに頼るという二心を持っていたら、
私たちの力以上の事は起こってこなかったはずです。しかし主は、一途に頼る私たちに、
最善の道を開いて導いて下さいました。外国伝道は、サハリンの時もそうでしたが、先が
全く読めません。だから、ただ主に委ねていく事が一番であることを味わいました。私たち
人間は、先が分からないと不安になり、自分の考えや力に頼ろうとします。しかしそうでは
ありません。主一本でいいのです。それは、使徒パウロの生き方でした。ですから、「私は
勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」と言っているのです。
信仰は、どこまでも主を第一にし、主一本でやっていくことだからです。
C 私たちは、主が良くして下さったという大きな恵みを受けると、知らないうちに自分が
主人公であるかのように錯覚してしまいます。そして自分が前に出てしまうのです。
しかし、主人公はどこまでも主です。全てを取り計らって下さった方こそ、私たちが崇める
べき方です。自分の損得、自分の栄光はどうでもいいのです。私たちは衰えても、主の栄光
が表されればそれでいいからです。この心を持って、掛け値なしに純粋に主に心を向けて
いきましょう。そして、その信仰生涯の終わりに、「義の栄冠を頂く」なら、なんと素晴ら
しいことでしょうか!どこまでも主人公はイエス様です。「主よ。あなたは素晴しい!」と、
褒め称えていきましょう。 |
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