マルコ14章32節〜42節
@ 今朝は、クリスチャンの信仰の生き方がどんなものであるかを、イエス様の生涯から
学んでいきたいと思います。
A さて、ある人たちは、イエス様はアダムが罪を犯す前の姿をとって来られたお方だと
言います。しかし、第Uテモテ2章8節には、イエス様について、「ダビデの子孫として
生まれ…」とあり、罪を犯した後のアダムの子孫であることがはっきりと記されています。
またローマ書1章3,4節には、「肉によればダビデの子孫として生まれ」とあり、もう
一面では「聖い御霊によれば、神の子として示されたお方」という、相反する表現が続けて
記されています。これらの言葉は両方とも真実であり、明らかな真理の二面性です。
私たちはこの二面性を理解し、受け入れなければ、聖書に対する見方が偏ってしまいます。
そしてその偏った考えは、私たちの主に仕えたいという純粋な思いの妨げとなってしまうの
です。
B さて、私たちは聖書に書いてある通りに実行していきたいと願っていますが、そうは
言っても自分の弱さも抱えていますので、難しいのが現実です。しかし、それでも聖書の
中にある真理を追求していくことはクリスチャンの願いです。ところが、その真理の追求に
関して、一面だけの真理を追究していくことは出来ません。なぜなら、イエス様自身の
中にも明らかな二面性があったからです。例えば、ゲッセマネでの祈りで、イエス様は深く
恐れ、もだえつつ、「どうぞ、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願うこと
ではなく、あなたの御心のままを、なさってください。」と祈られました。このイエス様の
思いは偽りのない恐れ、悲しみを持たれた真実な祈りです。しかしもう一面では、イエス様
は何度も、ご自身が祭司長たちの手によって十字架にかけられることを、弟子たちに毅然と
話されていました。言うならば、十字架に架かることはイエス様にとって当たり前のこと
だったのです。ここから分かるように、イエス様はその心の内に、二つの思いを持っておら
れたのです。毅然と贖いのために死ぬ覚悟を持っておられたイエス様、また恐れ、もだえ
られたイエス様です。
この心の中にある二面性は、私たちの内にもあります。一面では創り主のために働きたい
と思いながら、もう一面では、嫌だと思う肉の思いを抱きます。このように、クリスチャン
も二面性を持っていますが、両方とも自分の中にある真理です。
C では、この二面性の中にあって、私たちはどのように生きていけば良いのでしょうか。
イエス様は祈りの中で「しかし…あなたのみこころのままに」と言われました。これこそ、
「どちらに転んでも受けていきます。」という従う心です。私たちも、恐れ、もだえ、
悲しみ、そして、「この時が自分から過ぎ去るように」という思いを抱きます。初めから、
恐れを全く抱かない強いクリスチャンなどはいません。しかし、この心の葛藤の中で、
「あなたの御心のままに」という信仰の心に立つのです。これこそクリスチャンの生き方
です。そして、この心に変えていく心こそ、へりくだりなのです。イエス様は心の中の葛藤
を覚えながらも、「あなたのみこころのままに」と、主に委ねることで、私たちに模範を
示してくださったのです。ですから、私たちも、恐れもだえる二面性を抱えながらも、
「どちらに転んでも、受けていきます。」というこの信仰の心を以って、生涯を全うして
いきましょう。 |
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