仏式の葬儀や法事に行った場合、どのようにしたらいいかと、だれでも悩むところです。
そこでどのように対処するかは、本来の意味を知るところから解答を得なければなりません。
まず、日本では、人が死ぬと、死者の霊は「アラタマ」といわれ、「荒々しい魂」になると
いわれ、そのままにしておくと、他の人に「たたり」を及ぼすと考えられています。そこで、
その霊を供養することによって、霊が清められ、「ミタマ」とか「ナギミタマ」となり、
子孫を守る守護神となるのだと教えています。この日本古来の民俗信仰に、仏教の修行の
観念が結びついて、「アラタマ」が清められていくためには、死者の霊も修業を積んで悟り
を開き、「成仏」するようにしなければならないと考えているのです。そこで、死んでから
「あの世」で修業するため、死者に戒名をつけて出家させるというのです。又死者が一人で
修業をするより、やはり応援があった方がいいということで、残された親族が追善供養をし、
くどく
死者は親族の功徳を受けながら修業に励み、どんどん位いを高めていくと考えるのです。
ですから、法事をないがしろにすると「ホトケが浮かばれない」などと言います。
だんか
これは、僧が檀家をつなぎ止めるために、日本で考案されたものです。私たちは、今生きて
いる自分でさえ大変なのに、死んだ人の事まで責任を負わされたら、たまったものではあり
ません。死は別れで、決定です。全ては、本人の責任です。葬式のやり方で、行く先が決まる
わけではありません。人の葬儀は、遺体を丁寧に弔うことのみにあります。
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