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2007年 NO.188



『葬儀について』



         しょぎょうむじょう                  むれいこんろん 
釈迦の教えは、本来「諸行無常」で永続するものはなく、「無霊魂論」といわれて、死者を

拝む習慣は、本来の釈迦の教えの中にはありませんでした。それが後世になって、いろいろな

経典が書かれるようになって、釈迦の教えとは、正反対の大乗仏教などが起ってきました。

ですから仏教は教典の違いによって宗派が異なる宗教となったのです。ところが、キリスト教

の場合は教派は違っていても、教えの基準となる聖書、つまり聖書66巻は共通しているの

です。(ユダヤ教もイスラム教も旧約聖書39巻を教典としていることでは、キリスト教と

似ています。) 仏教の場
合、教えの教典が各々違いますから、当然拝む対象も仏教各宗派で

違いがあります。すなわち、
死者を弔う考え方も違ってくるのです。
そうとうしゅう                しゅうざん  かんきん  
曹洞宗では(禅宗の一派)、焼香、礼拝、念仏、修懺(お経を読むこと)を用いま

せん。ですから曹洞宗の僧侶の方々が葬式の時に、お経を読んだり、焼香をしたり、死者に

礼拝などしている姿が、もし道元に見つかったら「喝!」を入れられ、叱られてしまうのです。

ですから、現在、日本の仏教の風習に共通している「仏壇や位牌と死者供養」という習慣は、

本来、釈迦の教えた仏教とは全く異質なもので、その習慣が入ってきてしまったのは、

徳川時代の宗教政策(寺請制度・檀家制度)による日本独特の政策によるものです。
           たいせいほうかん
ですから、1867年の大政奉還から140年経った今日、徳川時代に強制的に押しつけられ

た政策から解放されて、自由な葬儀のあり方に立ち帰っていい時代だと思われます。本来、

礼拝は、生命の創り主に捧げられるものであって、創り主がお造りになったものを礼拝すべき

ではないのです。


                   
              



     
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