@ 今朝は、イエス・キリストの血によって聖なる者とされた私たちが、どのように歩んでいく
べきかについて、学びたいと思います。
A さて、8章1節には、「以上述べたことの要点はこうです。」と書き出され、その要点が
10章18節まで語られています。それに続いて、「こういうわけですから、大胆にまことの
聖所に入ることが出来ます。」とあり、その要点に基づいて信仰の具体的なあり方が記されて
います。即ち、イエス・キリストによって、聖なる者とされた者の立場と、その真理に堅く立った
者がどう生きていくべきかについて語られています。
B では、要点について考えてみましょう。まず、「律法では神に近づく人々を完全にすることが
出来なかった。」とあります。何故なら、祭司がささげるいけにえでは、罪を除き去ることが
出来なかったからです。ですから、くり返し、くり返し献げねばなりませんでした。
しかし、イエス・キリストの血によって、罪は完全に除き去られました。それは、「キリストは
聖なる者とされる人々を、一つの献げ者によって、永遠に全うされたからです。」ですから、
私たちは、大胆にまことの聖所に入り、主に近づくことができるのです。それは、キリストによって
完全な救いの保証を得たからです。これは、力強い主の恵みです。ところが、私たちは、完全な
救いの恵みを味わっていません。どうしてですか?情けない自分の現状を見てシラジラしく思い、
永遠に聖なる者とされていることが実感できないからです。また、罪に悩まされている情けない
自分の現実とは、余りにもかけ離れているからです。しかし、この誤りは、どこまでも自分の側に
あります。なぜなら、御言の真理は、信仰によって受け取る者だからです。そのためには、心の
スイッチを切り替えることです。自分ではなく、語っておられる主の側から見ていくのです。
そうすれば、「そうだな!」と分かってくるのです。もし、この真理を自分で掴んだなら、罪は
二度と思い出されることがないということが嬉しくなり、聖なる者とされていることを心から
感謝するでしょう。こうして、主はこの恵みを喜ぶ者たちに言われます。「このように信仰の
多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、一切の重荷とまつわりつく
罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」
と。これが、クリスチャンの地上の歩みなのです。
C 「あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。」と言われて
います。これは、まつわりつく罪を曖昧にせず、戦っていくようにとの勧めです。それは、習慣と
なっている罪は、強い心で主の許に持って行かなければならないからです。創造主は私たちの体の
スミズミまで造って下さった方ですから、このお方なら、完全に助けることができるからです。
この祈りこそ抵抗することです。これを大胆にしていくなら、御霊が働かれ、勝利を味わうの
です。諦めずに最後まで走り続けましょう。そして、御霊によって歩むクリスチャン生活を貫いて
いきましょう。
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