|
|
||||||||||||
2003年9月21日 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
イザヤ書45章9〜12節 |
|||||||||||||
@ 今朝は、創造主なる神について考えたいと思います。 A さて、私たちクリスチャンは、イエス・キリストを信じてから初めて創造主なる神を知りまし た。しかし一般の人々は、全てのものが偶然から始まり偶然に存在した、と考えています。偶然の意 味を調べると、「原因が分からないこと。」、「必然性が考えられないこと。」とあります。即ち、人間の 起源は偶然であり存在の原因は分からない、と考えているのです。にもかかわらず、苦しい事や不条 理なことがあると、「何故だ。」と原因を求め、追求します。しかし、全てを原因の分からない偶然から 始まると考えているのですから、それは無駄なことではないでしょうか。また、現実生活では、人は 死んだ後のことを恐れ、さまざまな挫折―病気、受験、人との付き合い、仕事・・・等々から、限界と無 力さを感じて偶像を拝み、どうにもならない現実を知って、人間以外の何かに頼ろうとして心を向 けるのです。 B では、創造主なる神とはどういう方なのでしょうか。私たちは思春期の頃、親に不満をぶっつけ て、「何で俺を産んだんだ。なんでこんな家に産んだんだ。」と文句ばかり言っていたのではないでし ょうか。それを口に出さなかったとしても、同じ思いが心の中にあったのは事実でしょう。確かに直 接的には、私たちを生んだのは親です。 しかし親にしても、思うままに希望通りの子を産める訳で はありません。一人の人間が誕生するには、親も関与できない大きな御意志が働いているのです。製 作された全てのものに製作者がいるように、私たち人間にも製作者、即ち創造者がおられるので す。この方こそ“いのち”を創り出せる唯一の神です。創造主なる神は、人間を「地のちり」で創ら れました。ですから人間の細胞の元素と、土の元素は同じなのです。私たち人間は、この創造主の主 権と権限の下で創られた被造物なのです。私たちが何かを作った時、自分が気に入らない形をしてい たり、ちょっとでもひび割れがあれば、壊したり捨てたりします。私たち人間も欠けたコップと同じ ものです。自分を創ってくださった方を忘れ、神を恐れず、思いのままに悪を行なってきた者ですか こわ ら、神は打ち毀して捨てることも出来ました。しかし神はその前に、あわれみを示して下さいまし た。御子イエス・キリストを遣わしてくださったのです。 C 聖書に、「イエス・キリストを、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕 かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。・・・ 主は、私たちの全ての咎を彼に負わせた。」とあります。イエス様は、私たちのひび割れをも修復して 救ってくださるのです。 この方は、私たちの不具合の全てをご存知で、 誰にも言えない悩み、 苦し み、悲しみ、からだの不具合をいやして下さる方です。私たちに命を下さった神は私たちを生かして 下さっている神であり、 一人一人に生きる目的と意味を与えておられるのです。 この方を信じた 時、天地万物を創られた神の中に全ての真理を見ることが出来るはずです。この創造主なる神を信じ てください。 |
|||||||||||||
|