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2003年9月28日 |
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マタイ14章22〜33節 |
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@ 今朝は、“信仰”とはどういうものなのか、考えてみたいと思います。 A さて、ペテロは、湖の上を歩いて舟に近づいて来られるイエス様を見て、「私に、水の上を歩い てここまで来い、とお命じになってください。」と願いました。すると主が「来なさい。」と言われた ので、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行きました。ところが、風を見て怖くな り、沈みかけたので、「主よ、助けてください。」と叫んでしまったのです。イエス様は、彼の手をつか んで言われました。「信仰の薄い人だな。」 これと同じ言葉が、17章にもあります。てんかんで苦し んでいる子を、いやすことのできなかった弟子たちが、主にその理由を尋ねた時、「あなたがたの信 仰が薄いからです。」と言われているのです。そして続けて主は言われました「もし、からし種ほどの 信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あな たがたにできないことはありません。」と。実に主の御業は、私たちの信仰のある無しにかかってい るのです。 B では、からし種ほどの信仰とはどのような信仰なのでしょうか。からし種というのは、人間の目 びりゅうし では種と分からないほどの微粒子で、小麦粉のようなものです。ですから、信仰が薄いというのは、 大小のことではなく、有るか無いかであると理解した方がいいと思います。したがって、信仰が薄い とは、信仰が無いとも言えます。確かにペテロは、湖の上を歩いて来られるイエス様を見た時、「自分 も歩きたい」と思って、イエス様が「来い。」と言って下さったら自分も歩けると、単純に思って歩き 出したのです。イエス様への全幅の信頼でした。これこそ幼子の信仰です。幼子は知恵や知識を使わ ず、そのまま心に受け入れ、そのままやって行こうとするのです。ところが大人は、まず頭で考えま つちか す。それまで培った知恵や知識を駆使して判断し、それが事実かどうか確かめないと、信じようと しないのです。しかし、全てのことを自分の知識で判断できるわけではありません。知らないこと が一杯あるのです。ペテロはイエス様を見たとき、始めは頭を働かせませんでした。しかし、風が 吹いてきて、頭で考え恐くなり、その瞬間沈んでしまったのです。まさしく信仰の無い状態になって しまったからです。神は創造主であられ、私たちは、神によって創られた被造物です。ですから、被造 物である私たちは、神の知識を超えることは出来ません。しかし神にはどんなことでも出来ます。 私たちは、この神の上に立つような思いを持つべきではありません。 私たちの神は、善意を持って 導いてくださる正しい神ですから、そのまま聞いて従って行く事が、ふさわしいことなのです。 但し、この世に対しては、善悪が混在していますから、正しい判断をしていく注意が必要です。しか し神に対しては、幼子のように、そのまま信じていくべきなのです。 C ペテロが水の上を歩けたのは、単純に信頼し、「自分も歩ける。」とイメージしたからです。私たち も、神が言われるとおりに、自分の考えを捨ててマネキンのように明け渡し、幼子のように全幅の信 頼を持って行くなら、「確かにあなたは神の子です。」と心から神の力を味わう信仰へと変えられて いくのです。 |
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