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2003年10月5日 |
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「永遠の命を得るためには」 |
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マタイ19章16〜30節 |
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@ 今朝は、イエス様に、「永遠の命を得るためには、何をしたらよいでしょうか。」と尋ねてきた青年 を通して、どのように神に従うべきかを学びたいと思います。 A さて、「衣食足りて礼節を知る。」と言われていますが、多くの場合、お金や物で満たされてくる と、精神的なものに飢え渇くようになります。この青年も同じでした。お金持ちで、何不自由の無い 生活の中にありながら、満たされない心の空虚さを感じていたのです。彼は、子どもの頃から戒め を守って来た優等生です。それでも永遠の命を得ることが出来るという満足感はありませんでし た。ですから、満たされたい、という飢え渇きを持ってイエス様のところに来たのです。ところが、 イエス様のお答えは、彼の願っていたものではありませんでした。彼は、イエス様に示された課題に 答えられず「自分には出来ない。」と思って去って行ったのです。 B では、イエス様は彼に何を求められたのでしょうか。イエス様は彼に言われました。 「もし、 あなたが完全になりたいなら、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。 そうす れば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしに付いて来なさい。」と。 しかし この青年は、多くの財産を持っていたので、「これまでは財産が満たされていたから、戒めを守っ ていく余裕もあった。しかし、生活の土台が崩れたら、それどころではなくなってしまう。 そんな ことは自分には・・・出来ない。」と、イエス様の前から、悲しんで去って行ったのです。彼は心の満足 を求めてイエス様の所に来たのですが、イザとなると、永遠の命より、自分の財産を選んだのです。 このような打算的な心を持っていては、神に従って行くことは出来ません。何故なら、神は真実な お方ですから、神に従おうとする者も、真実な純粋な心が必要なのです。そうでなければ心の満足 は、金で買えることになってしまいます。ですから、まず主に従う心が必要でした。その生き方を したのがペテロでした。彼は一介の漁師でした。しかしイエス様の聖さと真実に触れた時、「この方に ついて行きたい。」と心を定め、何もかも捨ててイエス様に従ったのです。そして彼は言いました。 「私は何もかも捨てて、従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうかと」イエス様 は、そのようにして従って来た弟子たちに言われました。 「また、わたしの名のために、家、兄弟、 姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者は全て、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎま す。」と。 確かにペテロは、家も網を捨ててイエス様に従いました。しかしイエス様は、彼の姑を癒 し、彼の家のあるカペナウムを第二の故郷とされ、心を配っておられたのです。捨てる、と言うこと あしげ は、無責任に足蹴にすると言うことではありません。しがみつかず、第一にすべきものを第一にして 行く、ということなのです。その純粋な自由な心で従ってくるなら、天の御国だけでなくこの地上で も祝福を受け、幾倍をも与えられるのです。 C 私たちも、実際にこの恵みを味わっています。しかも、幾倍も受けています。神は、このよう に、純粋で真実な心で従って来る者を、見捨てることはなさいませんでした。「神にはどんなこと でも出来る」ということを、私たちは地上でそれを味わい、神に従う証しを立てて行きましょう。 |
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