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2003年10月12日


花婿を迎える10人の娘

マタイ25章1〜13節


@ 今朝は、花婿を出迎える10人の娘たちの例えを通して、神の時を待ち望む心について学びたいと

思います。



A さて、イエス様は、「天の御国というものは、賢い娘と愚かな娘とが花婿を待ち望むようなもので

す。」と言われました。彼女たちが、ともしびを持って待ち望む姿に、信仰のともしびを持って主を待

つ姿が表されています。ところが、賢い娘と愚かな娘との間には、決定的な違いがあったのです。賢い

娘たちは、ともしびと共に油を用意していましたが、愚かな娘たちはともしびだけで油を用意してい

なかったからです。



B ではともしびだけでなく、油も用意するとはどのようなことなのでしょうか、考えてみましょ

う。彼女たちはみな、花婿の到着を今か今かと、ともしびを灯しながら待っていました。そして夜中

になって花婿が到着し、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした時、彼女たちは起きて自分の

ともしびを整えました。しかし、ともしびだけで油を用意していなかった愚かな娘たちは、婚礼の祝

宴に行けず戸が閉められてしまったのです。ですからイエス様は言われました。「だから、目を覚まし

ていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。」と。それは、「信仰のともしびをとも

し続けなさい。」という事です。ともしびが消えた状態というのは、「神が成し遂げてくださる。」とい

う期待感を失い、待ち疲れて、心の備えが出来なくなってしまうことです。
先日、一人の姉妹が癒さ

れて、その喜びを証しされました。姉妹は、祈られている時に、熱いものが身体に注がれるのを感

じ、祈られている最中に癒されたと確信し、「主よ、癒してくださり感謝します。」 と、心の中で

祈ったそうです。そして、あれほど苦しかった胸の痛みと熱が下がり、次の日には、畑仕事にも出

掛けた。というのです。どうしてそのようになったのでしょうか。姉妹は主からの癒しを味わった

のは、これで三回目です。「もう神様を疑う余地はありません」と、はっきり証言されました。


それは、頭で考えている信仰ではなく、幼子のような主への信頼だけでした。神様と私たちの関係

は、私たちのために御子をさえ惜しまずに与えて下さったお方ですから、疑う余地は無いのです。

ただ幼子のように素直な心でいつも信頼し、受け入れていけばいいのです。



C 今、神は言われます。 「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。 あなたがたは

耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。 ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。」

(ホセア10:12)
と。私たちは、長い間主を待ち望んで来ました。それは、「聖書に書いてある

ことは今日も起こる」ということを証ししたいからです。そして、神はいつも信仰に、油を蓄え

ていなさいと言われます。その油とは、幼子のような信頼の心です。もし自分が、油を用意してい

ない娘たちであったら、いま直ぐに用意しましょう。そして、賢い娘たちのように、いつ主が来られ

ても迎えに出られる、役に立つしもべでいましょう。主は私たちの前に、祝福を用意してくださっ

ていますから、いつも聖霊の満たされて、働きに用いられたいと思います。


                               

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