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2003年9月14日 |
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マタイ9章1〜13節 |
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@ 今朝は、私たち人間の根本的な問題は罪である事と、罪を赦す権威を持っておられる唯一のお方 はイエス・キリストであることを学びたいと思います。そして、罪を赦される幸いを学びたいと思い ます。 ちゅうふう A さて、イエス様が家の中で話しておられる時、中風の人が運ばれてきました。 その様子につい て、他の福音書では次のように記されています。「群衆のためにイエスに近づくことが出来なかった ちゅうふう ので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままそ いや の床をつり降ろした。」と。連れてきた者たちの、友を癒して欲しいと願う必死な心と期待感が伝わっ ちゅうふう てきます。ところがイエス様は、中風の人に言われたのです。 「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪 は赦された。」と。このイエス様のことばを聞くと、私たちは「それはおかしいんじゃないの?みんな は病いを癒して欲しいと思って来たのに・・・。」と考えてしまいます。また、律法学者たちも心の 中で、「この人は神をけがしている。罪を赦す権威をもっておられるのは神だけだ。」 と考えたので ちゅうふう す。イエス様との考えのずれが、中風の者と律法学者に起こりました。 B では、何故イエス様は病気のからだには気を留めず、「あなたの罪は赦された。」と言われたの でしょうか。それは、イエス様が根本的な問題に目を留めておられたからです。私たちは、「この病 気さえ直れば・・・。」、「この問題さえ解決すれば・・・。」と、いつも目先の不具合にばかりに目を留めて います。しかし、その病気が治ったら次は病気をしないという保障はありません。一つの問題が解決 しても、それで終わりではないからです。生きている限りさまざまな問題が、次から次へと起こっ てきます。ですから、いくら目先の問題が解決しても、根本的な解決とはなりません。私たちのあらゆ る病気、あらゆる問題の全ての原因は罪から来ていることを知っておられるのは、イエス様です。 私たちの一番の必要性をご存知なのは、私たちを創られた神だからです。 ですから、「あなたの罪は赦された。」と言われたことは的外れではなく、一番的を射ていることで あり、根本的解決を与え、幸いを与えようとされたイエス様の愛なのです。このイエス様の言葉を嬉 しく思えるのは、「自分は病人であり罪人である」と自覚できている人です。ですからイエス様は 言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。・・ ・わたしは正しい人を招 くためではなく、罪人を招くために来たのです。」と。 C 神の目から見たら、私たちは皆、病人であり罪人です。そんな汚く汚れた私たちをご覧になら れたら、神は私たちに近づくことも出来ないはずです。まして「友になろう。」などとは言えないで しょう。しかしイエス様は、「罪人を招くために来た。」と言ってくださったのです。私たちの根本的 な問題に目を留めて、その解決をしてくださるために来られたイエス様だからこそ言えた言葉なの です。そしてわたしたちは、このお方の愛と救いを頂いて、初めて、病の癒しが幸いなものとなる のです。罪の赦し無しに、幸いに預かれる道はありません。是非、この救いに預かってください。 |
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