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2003年5月25日

「神の栄光を現す生き方」

ルカ19章11〜27節


@ 今朝は、信仰が成長していくためにはどう歩むべきかを学びたいと思います。



A さて、アダムの子孫である私たちは、生まれながらにして滅ぼされるべき怒りの器でした。

しかしそれにもかかわらず、今はあわれみの器として選ばれている者です。それは、神の栄光を

現わす目的があったからです。すなわち、
弱く罪人であった私たちも、これまで「出来ない。」と

思っていた事を、逃げずにやって行くことによって、神の栄光を現わしていくのです。


ところが、現実はそうは思うように行きません。むしろ自分の弱さを痛感させられるのです。

そして、とても神の栄光を現わすことなど、自分には出来ないと諦めようとします。その上、「事は

人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神による。」とありますので、なおさら自分

の力では出来ないと思い、「ただ神のあわれみと恵みを求めて行けばいいんだ」、と自分勝手に

考えてしまいます。しかし、その御言は、何もしないであわれみを待っていなさい、と言っているので

はありません。何もせずに待つのは恵みではなく、むしろ諦めず、「どのようにしたら宜しいので

しょうか。教えてください。」と祈りながら、 コツコツ努力し続けていくのです。すると、神は助け、教え

て下さり、その通りにやって出来た時、「あわれんでくださる神による」という事実がはっきりして

くるのです。その幸いを味わうために必要なのは、神の御前にへりくだる心です。この心を私たちが

身に着けていくなら、神に信頼される者となって、豊かに用いられて行くことでしょう。




B では、「へりくだる」とはどういう事でしょうか。

まず、この世界は、神の創造によって造られ、私たちは神の創造によって創られた世界に住まわ

せて頂いている者だ、という事をはっきりと認識すべきです。

ところが、私たち人間は、自分の思い通りにならないと、当たり前のようにして文句を言い、不平

不満を神にぶつけるのです。ですから、困難が来ると「何故だ」、「出来る訳がない」と不満を言い、

やろうとしないのです。これでは、あわれみの器として、神の栄光を現わすために選ばれた意味が

ありません。もし、神に信頼され用いられたいと願うなら、神への不平不満や反発を捨てねばなりま

せん。それがへりくだる事であり、身を低くする事だからです。 ミラーさんは、「神を疑う事をしな

かった」と証ししています。それは、どんな事があっても不平不満を言わなかった、という事です。

彼は,神によって創られた者に過ぎないことをわきまえ、神のみ前に身を低くし、へりくだっていた

からです。


C 私たちも、神の御前に身を低くし、へりくだる事を身に着けていくべきです。

そのためには先ず、自分の身近な者―夫、親、兄や姉、上司等に対して徹底してへりくだっていくこ

とから始めましょう。
目に見える者に対して身を低くし、下手に出て始めて、目に見えない神にへりく

だって従うことが出来、信頼関係を身に着ける事が出来るからです。


これが選ばれたクリスチャンの歩みなのです。



                               


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