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2003年12月7日 |
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「ひたむきに前に!」 |
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ピリピ書3章3〜16節 |
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@ 今朝は、「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、・・・目標を目ざして一心に 走っていく」信仰は、先ず、「神に信頼する。」と決めることから始まることを学んでいきたいと思いま す。 A さて、パウロはこのピリピ書を、エルサレムからローマに護送される途中のカイザリヤの牢獄で 書いたと思われます。というのは、任務を果たし終えたいとする前向きなパウロの心と、13節で 総督官邸とありますので、彼の任務はまだ終わっておらず、ローマで伝道することを強く願って いた時のものと考えられるからです。すると、カイザリヤで2年間留め置かれた意味もあります し、その獄中での言葉は、パウロの信仰の心意気がいかに、強いものかが伝わってきます。 それは、パウロの心の中に、「神に信頼する」と定めていた心があったからです。 B では、パウロの、前向きな心の根拠はどこにあるのでしょうか。 それは、「信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことが出来る、という望みがある。」という ことです。彼は、救われる以前、厳格なパリサイ人として、神の前に自分の義を立てて行こうと必死 でした。しかし、自分の力で義を得ることは出来ないと知り、キリストの救いがなければ義とされ ないことを悟ったとき、イエス・キリストを信じたのです。この義は、将来与えられる望みでもあり ますが、すでに私たちに与えられている義でもあるのです。何故なら、ロマ5章8,9節にあるよう に、私たちは、「今すでにキリストの血によって義と認められた」からです。私たちはすでに救いを 持っているのです。だからこそ、この地上で、献身的に一生懸命、前に向かって生きて行く心が生ま れるのです。私たちもこのパウロの心を、自分たちの心にしたいものです。人生は短く、駆け足で 駆け抜けて行くものです。ところが、このように真っ直ぐ天に向かって生きて行こうとする時、その 短い人生も価値あるものとなります。しかしそれをまた、阻もうとする私たちの肉の感情も働く のです。それは、「ダメだ。」という思いです。確かに、自分の能力や欠点、過去の失敗などを見る時、 前に踏み出すことが出来なくなるでしょう。しかし神は、私たちを義と認め、天の所にすわらせてく ださったのです。ですから、私たちの見るところはただ一つ、天です。 そうすれば、一生懸命に神の ために生きていこう、となるのではありませんか。主イエス・キリストの僕として、徹底して仕えて いく事が私たちの喜びとなるなら、カイザリヤの獄中にあっても、前向きになれるのです。 C 私たちがこの生き方を実践して行くためには、一人一人が、「神に信頼する。」と心で定める事 です。心で決めるなら、その通りになるからです。 頭で決めたものは、行いとなって出てきません が、心で決めると、行いがセットとなって付いてくるのです。本物には証しが付いてきます。パウロ さんのひたむきに前に向っていく力は「神に信頼する」と定めた心があったからです。この心を私 たちも定めていきましょう。 |
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