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2003年11月23日 |
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「不退転の心」で立つ |
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使徒20章17〜38節 |
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ふたいてん @ 今朝は、パウロの、エペソの人々への決別のメッセージから、“不退転の心”で立つ信仰につい て学びたいと思います。 A さて、パウロは言いました。「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の 恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私の命は少しも惜しいとは思いま せん。」と。パウロの命をかけた真実な心が伝わってきます。そこには、自分の命やプライド、メンツ などを守るために必死になっている姿はありません。ただ一心に神の前に生きている真実な姿を見 るのです。これこそが私たちクリスチャンの本来の生き方なのです。 B では、パウロの生き方から、神の前に真っ直ぐに生きて行く生き方について考えて見ましょう。 まず、私たちの信じる前の生き方はどうだったでしょうか。 私たちは、いつも人前を気にして、 良い子ぶり、プライドを守るのに必死でした。そしてその挙げ句の果てには、他人の欠点をあげ つらって自分を義とするような生き方をして来たのではないでしょうか。 しかし、 そんな表面を 飾った自分の姿こそ白く塗った墓であり、罪人そのものの姿でした。しかし、そんな私たちのため に、身代わりとなって罪の清算をしてくださったキリストを知った時、信じる以外にないと分かっ たのです。私たちはこの時、神に通用するのは、神を信じる信仰だけだと分かりました。 すなわち、 心だけだと分かったのです。その時から私たちは、心を大切にして神の前に歩み始めました。 その 歩みは、以前のように外見ばかり飾った生き方ではなく、自分を隠さずに、ありのままで神の前に 生きて行こうとしたのです。なぜなら、もし装った偽りの自分で生きていくなら、神の前に通用し ないことが分かったからです。そればかりではありません。自分を飾った生き方は、人にも信用され ないと分かったからです。もし、人前では情けないものであったとしても、ありのままに自分の愚か さを出していくなら、たといその時は笑われたり、バカにされたりしても、正直な信頼できる人とし て認められるようになるはずです。パウロは、人間的な誇りは、神の前に塵、芥と思った人で、人前 のメンツなど気にしませんでした。ですから、かつてクリスチャンの迫害者であったという恥ずか しい過去も大胆に証ししました。また、縄目と苦しみが待っていると分 かっていても、「走るべき 行程を走り尽くすなら、命は惜しくはない。」 と断言できたのです。「私にとっては、生きることは キリスト、死ぬこともまた益です。」と、この不退転の信仰こそ、私たちの立つべきところです。 C 神に通用するのは、私たちの嘘のない心だけでしょう。この真実な心で、歩んで行くなら、利害 に満ちた世もシンプルな人生となるでしょう。そして嘘のない正直な人間として、人からも信頼され るようになります。わたしたちもパウロさんのように、いつも神に望みを置き、一心にこの人生を 走り終えることが出来るなら、なんと幸いでしょう。パウロさんが表した不退転の信仰の心を以っ て、走るべき行程を走り尽くして行きましょう。 |
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