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ありのままの        自分を愛する        


----------人には、自分にしかない命があります。---------

 あなたは主の目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

               (イザヤ43章4節)


さて、イエス・キリストの語られた聖書の中に、このような言葉があります。

   「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。」

 確かに、人を愛することは大切です。又、すばらしいことです。

しかし、その前に「自分を愛するように」とありますから、まず「自分の

ありのままを愛しなさい。」といわれているのです。
      やさ
このことは、易しいようでむずかしいことです。
         だめ
 なぜなら、自分の駄目さ加減、弱さ、能力のなさ、学力のなさ、性格的な欠点をも含めて、自分

自身をそのまま愛することだからです。

 しかし、今日では、自分で自分を愛することさえ、むづかしくなってきているようです。

 例えば、世間で「落ちこぼれ」と言われることがありますが、それは、ただ成績の良し悪しで

比較され、優劣がつけられて、自分の存在に自信を失ってしまっていることです。又、家庭の中で

さえ、自分の存在を無視され、兄弟同士で比較されて、自信を失ってしまっている状態です。

このような状況では、何をやってもうまくいかず、自分で自分がイヤになり、「こんな自分は、

生きてこなければよかった。」とさえ、思うようになってしまうのです。これでは、何のために

生まれてきたのか分かりません。




  こんな自分は、もうー自分じゃない。

自分がイヤになり、自分で自分が嫌いになる。

「なぜ?」「どうして?」と叫んでも、自分の生まれ育った性格は、

どうにもなりません。才能のある人や、人に「ちやほや」されている
                    まね
人が、うらやましくて、「ああなりたい」と真似しても、かえって

バカにされるだけで、一つも、うまくいきません。スポーツさえでき

れば、自
分の生きるところもあるでしょう。しかし、勉強も運動も
だめ
駄目だとなれば、もはや自分の生きる場はありません。「親が勝手に

産んでおいて!」と悪態づいても、親さえ自分のことを理解してくれ

ません。



 こんな自分をどうして愛せるの!』


なんで、こんな自分に生まれてきてしまったのか。

こんなアホな人間に生まれるのも、金持ちの家に生まれるのも、貧乏

人の家に生まれるのも、自分の意思は一つもなかったのに、どうして

外側だけの評価で、人間の価値が決められていくのか。

これでは
たまったものではない。こんな差別がどうしてあるのか。

なぜ自分だけがこうなんだ。こんな自分を愛せなくなるのも、当然

ではないか。



 ・・と私たちは、「自分のありのままをのろう人」がどんなに多いことでしょう。

  しかし、こんな絶望の中で、私たちに光を投げかけ、私たちに「最高の評価を

して下さる方がいる」としたら、どんなにすごいことでしょう。




         聖書の中には、こうあります。


  わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

               (イザヤ43章4節)

すなわち、私を「高価で尊いと言って下さる方がいる」と教えているのです。





 昔から、

「子供は神様からの授かりもの。」と

言われています。例えば、母親の卵細胞は

一生涯で400500個排卵されます。

その内の一つの卵と、父親から排出される

三億個の精子の一つとが出会って子供が

生まれてきます。すなわち、 (500×3億)

1500億分の1の中から選び抜かれた命こそ

が、私自身なのです。

このことは、今生きている自分は、1500

の中から選び抜かれて存在させられた命で

あり、誰でもよかったわけではないので

す。だから、
自分という存在は、世界中で
         にせもの
たった一人だけで、偽者は存在せず、

本物だけです。まさに自分の誕生は、

奇跡と奇跡の中で起こったことで、

かけがえのない命なのです。

この命こそ、神様からの授かりものです。


 



誰でも大エリート!



  私たちは、二人として同じ遺伝子を持った人はいません。この遺伝子の中に「わたし」と

いう設計図を入れ、「わたし」が生きるために存在させられた。この私を、神は「わたしの目には

あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と言って下さるのです。

だとすれば、私は、単なる能力で優劣の決められる存在ではないのです。私たちの存在は、命を

与えて下さった方に対して、高価で愛された存在なのです。ですから、私たちの存在は、単なる

頭の良し悪しや、成績で決められるものではありません。
神によって創造させられた私たちは、

神にとって、すべての人が、かけがえのない命なのです。それは、命を持った神のみが、人に

命を与え、一人一人に目的を与えておられるからです。だから、私たちは、この創造主なる神の

目にかなった生き方をしていく時、私本来の価値ある生き方となっていくのです。

 
生命は偶然に物から生まれることはありません。

人の命は、神からのかけがえのない命ですから、「ありのままの自分を

愛し、感謝する時」、初めて「自分を愛するように、あなたの隣人を

愛しなさい」と言われた心が生まれてくるのです。


 このように私が私として、生まれてきたことが分かってくると、

私たちの命は、高価で最高の命であったことが見えてくるのです。



ですから、あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えて下さい。その方は、聖書の中から、

はっきり分かります。

その
聖書から、あなたの命の主を発見し、「自分のありのままを愛する」人生を見い出していた

だきたいのです。


  人には、自分にしかない命が与えられているのですから。
    





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