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               罪の債務は払われた
     

   



『 まことに彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。


          だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

     しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。

      彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行った。
  とが
    しかし、主は私たちのすベての咎を彼に負わせた。』     聖 書

今から約2000年前、イエス・キリストが十字架につけられたとき、

人々はキリストをあざけりました。

「神の子なら自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」

「彼は他人を救ったが、自分は救えない。」と、からかい、ののしりました。
                                 とが
しかし、キリストは、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれて、

十字架につけられたのです。

このキリストの打ち傷は、まさに私たちが罪の裁きから救われるためだったのです。キリストは
      あがな
すべての人の贖いの代価としてご自身をお与えになりました。それは、私たちの罪、過ちを神に執り

成すためだったのです。

 すべての人間は、死後、神の前に出され、自分の犯した罪の報いを受ける運命にあります。

ところが多くの人々は、自分に罪の報いがあるなどとは、考えてもいません。しかもキリストが

自分の罪のつぐないのために死んだなどとは、バカバカしい他人事と思っています。

  しかし、そうでしょうか?

 町中をすまして歩いている自分は、何を考え、何を思って歩いているでしょう。

あなたは自分の心を映し出すテレビ画面を額につけて、町中を歩くことができますか?

そのテレビ画面には、汚らわしい思いの全てが映し出されるのです。

あなたは、自分の心を人前にさらけ出して歩くことができるでしょうか。

いいえ、恥ずかしくて、人に見せられるものじゃありません。ですから、自分にも罪があることを

認めざるを得ません。
ならば私たちも、罪の裁きから免れるわけにはいかないのです。

必ず、罪の清算がされて地獄の裁きを受けるのです。もはや、自分の努力では、何ともなりません。

自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行ってしまいますから。
 

                  

       

キリストは、私たちの罪を執り成すために十字架にかかって死んで下さったのです。

そして、私たちの罪の借金(債務)を全部払ってくださいました。だからキリストの贖いの故に、

全ての人が救われるのです。こんな罪人でもありのままで救われるのです。

                                       さいむしょうしょ
「キリストは、私たちを責め立てている債務証書を無効にしてくださいました。」

   あなたの罪の債務が、キリストによって支払われているのです。

 それがキリストの十字架です。

どうか、この事実を信じて、罪の裁きから救われる者となって下さい。





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