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2026年8月2日

自分の考え、思想、自我を折り、すべて明け渡し、
全能主を信頼して従って行く事

ヨハネの福音書 2:23~25、5:14~47 


(起) ヨハネの福音書2章24節の御言葉から、「彼らの信じ仰ぐ心が、上辺だけのものであることを

知っておられた」
という所から、「自分の考え、思想、そして自我を折り、すべて明け渡して、全能主を

信頼して従って行く事」
を学びたいと思います。


 
その前にまず、創造主の存在を「歯」の仕組みを通して見て行きます。私達の歯は、直接アゴ骨にくっついて

いるのではなく、歯とアゴ骨の間にある、わずか0.2mmの厚さの歯根(しこん)(まく)という靭帯(じんたい)によって覆われて

います。この膜が様々な役割を(にな)い、衝撃吸収圧力測定アゴ骨の修復などを行っています。歯根(しこん)(まく)は、

強くしなやかな物質で出来ており、食べ物を()む際に、()にかかる体重ほどの大きな力を分散、吸収
する

クッションの役割をしています
。また、同時にわずかな圧力の変化も検知し、情報が瞬時に神経を通って

脳に送られ、その結果、砂利や髪の毛などの異物にも瞬時に気が付きます。また、この繊細(せんさい)なセンサーの

おかげで
歯ごたえ(食感)さえ味わう事が出来ます。さらに、歯根(しこん)(まく)はアゴ骨を常に健康に保つ

司令塔
なのです。歯根膜内には幹細胞(骨芽細胞)が常駐しており、歯根膜からの指示で、破骨および

造骨がされています
。歯根膜のないインプラントの人工(じんこう)()と比較すると、その差は歴然です。即ち、

インプラントには歯根膜がないので、強く噛みすぎたり、食感が鈍ったり、そして、一生涯のメンテナンスを

必要とします
このように、生まれながらに持つ私達の歯は、非常に精巧で、安心、安全、また豊かな

食生活となるよう隅々まで配慮された仕組みによって創られています。
こんな設計を偶然が作り上げる事が

出来るでしょうか?あり得ません。これは、巧みに歯を造り上げたデザイナーの存在を明確に証明している

のです。そのデザイナーこそ、聖書は「万軍の全能主ヤハウェ」であると証言しています。


(承)さて、このように全能主は完璧な設計をもって、私達を創造して下さいました。しかし、私たちは

その全能主に対し、自分の自我や肉の思いを優先し、自分勝手な生き方をして、生まれながらに罪の性質の

中で生きています。子供は親から嘘をつくようには教えられてはいません。しかし、教えられなくとも物心が

着いた時には、平気で嘘をつくのです。それは、生まれながらに、罪の性質を持って生まれた証拠です。

その事について、聖書は次のように教えています。イエス様は、ご自分の故郷のカナで、婚宴があったときに

「水を葡萄酒に替えられる」というしるしを成されて、ご自分の栄光を現されました。そして、過越の祭の

間エルサレムに滞在しておられた時、多くの人々は、その行われたしるしを見て驚きイエスの名を信じたの

です。しかし、これらのしるしを見た多くの人々の信仰は上辺だけのものである事を、イエス様は見て

おられました。なぜなら、人間が「単なる損得勘定や目に見える御利益を求めて、しるしを信じたに過ぎ

なかった」
からです。ですから、「イザとなれば信仰を捨て、罪からの救いよりも、この世の利益を求めて、

わたしを裏切るであろう」という事を、イエス様は見抜いておられたのです。主は、そういう罪人は信用

できません。ですから、生まれながらに罪の性質の中にある人間が、悔い改めなしに信じても、イエス様は、

彼らに御自身をお任せにならなかったのです。こうして、「主を信じる信仰は、身勝手な御利益を願う

上辺だけの信仰では、通用しない」
という事を明らかにされました。


(転)では、本物の主を信じる信仰とはどんなものでしょうか。それは、まず「自分自身を徹底的に否定し、

自分の十字架を負って従って来なさい」(マタイ16:24)と言われたイエス様の真意にあります。

それは、自分の罪深さを全面的に認め自分の自我を折って主に従うことを始める信仰です。この考え方は、

世の考え方とは全く正反対な生き方です。即ち、「イエス様を信じる」という事は「自分を信じる事ではなく、

イエス様の考えに従う」
という事であり、生まれながらの自分勝手な考え肉の性質、また生まれ育った

家庭環境で培った常識
その家の思想を持ったままでは、天の全能主から見た、物の考え方や、命の使い

方を理解できないということです。
そこで、「もし、本当に主を信じて従って行きたい」と思うなら、自分の

自我を折り
自分の考えを明け渡して「私は全能主の考え方に合わせて従います」と、自分の意志で

決めた生き方に変えなければなりません。イエス様御自身も、全能主なる父に完全に明け渡して従われたの

です。「わたし自身の考えでするのではなく、わたしを遣わされた父の御心を行います」(5:30)

言われ、父なる全能主の考えに完全に従属し、御自身を明け渡されたのです。だからこそ、十字架の苦しみに

対しても、「あなたの御心のままに」と言えたのです。私達もこの明け渡しの心が必要です。「明け渡し」

とは、生まれながらの肉の性質、自分自身の自我、家庭環境の中で身につけてきた思想、子供の頃から培って

きた考えを全て横に置いて、全能主の考えに立って従う事です。また、イエス様は「人からの誉れを受ける

つもりはありません」(5:41)
と言われました。私達もこの心を持たなければ、自分の十字架を負い、

死を覚悟して信仰を全うする事はできません
。これから来る患難時代の中で、人からの評価やこの世での

処世術に傾聴(けいちょう)していたら、悪魔にその肉の思いを()かれ、簡単に悪魔に翻弄(ほんろう)されてしまいます。

それは、悪魔に思うままに(もてあそ)ばれ、手玉に取られ、なぶり者にされることですから、「この世に対して、

人からまた悪魔から良い評価を受けるつもりは一切ありません」というハッキリとした強い信仰心が必要な

のです。


(結)私達は、この世に生きている以上、肉が無くなってしまう事はありません。ですから、荒ぶる

肉を表してしまう事もあるでしょう。しかし、その肉を持った者が、その肉の暴れ馬を乗り越えて、

全能主の考えに従って行く。それは何ものにも代えがたい御方を知ったから、そうするのです。

それだけの価値を知った者が、本気の生き様を現して行くのが本物の信仰なのです。
ですから、自分の

肉を明け渡して否定し
空っぽの器にして「もう自分自身を諦めます。自分なんて当てになりま

せんから、見切りました。自分の考えで生きて行くのではなく、全能主の考え通りに生きて行きます。

そして、主に信頼し、主に依り頼んで生る」
と切り替えたなら、全能主は「お前の肉については問わ

ない」
と言って下さいます。なぜなら、その人の本心にある信仰心は、人には分からなくても、全能

主やイエス様には分かるからです。それ故に、全能主は私たちを「主の心に適う者」として甦らせ、

命を与えて下さるのです(ヨハネ5:21)。どうか、上辺だけの信じる心ではなく、本物の信じる

心を持ちましょう。
そして、自分の考え、思想、自我を否定し、明け渡して「全能主を信頼して従って

行く」と心に定め、この道一本で生きて行こうではありませんか。


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