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2026年2月22日

罪人の自分には一切頼れないと悟り、
とことん全能主に信頼して行く

第Ⅱペテロ 3:16 


(起) 第Ⅱペテロ3章16節の御言葉から、「罪人の自分には一切頼れない」という事を悟り、こんな

罪人に救いを下さった全能主に対する感謝と喜びの中で、「とことん全能主に信頼して行く事」を学んで

行きたいと思います。


  まずは、全能主の存在を「鳥の(つばさ)の仕組み」から見て行きたいと思います。鳥の(つばさ)を横から

見ると飛行機の主翼(しゅよく)とよく似ています。例えるなら、スプーンをひっくり返して横から見た時の

ような形で、上側が盛り上がっており、下側が直線的な形になっています。この翼の正面に当たった

空気は、翼の上と下に分かれて流れ、上に流れる空気のスピードの方が速くなります。すると「流体の

速度が速くなると、圧力が下がる」(例、台風の風は強くなると、気圧が低くなる)
という「ベルヌーイの

定理」
によって、翼の上側の圧力がより低くなります。すると下側の高い圧力から上側の低い圧力へ力が

働くため、翼は下から押し上げられて揚力が生まれ、飛ぶことが出来ます
。さらに、鳥が着地をするときは、

スピードを落とすと揚力が減少するため、それを維持するため翼の角度を上げていきます。これは飛行機の

フラップ(飛行機の下げ翼)
と同じ働きです。しかし角度を上げすぎると揚力が失われ、失速してしまい

ます。それを防ぐために、翼の前方には独立して動く小さな羽があり、これを動かすことで空気の流れを

変え、揚力を維持したまま、スムーズな着地ができるようになっているのです。これは飛行機のスラット

同じ機構です。こうして見て行く時、鳥の翼の形状は飛行機にも応用されて、実に理にかなった構造を

持っています。鳥は飛行機が発明される「はるか昔」から空を自由に飛んでいました。即ち、鳥として

生まれたときから、飛ぶための仕組みが見事に整っていた訳です。これは果たして進化によって偶然に

作り上げられたものでしょうか。もし鳥が試行錯誤して、自分で翼を変えていったのであれば、それが

完成する前の鳥は、皆墜落して死滅しています。すると、子孫は繁殖できず、鳥の発生はありませんでした。

しかし、間違いなく空を飛ぶ鳥は存在します。では、どのようにして理にかなった翼の形状を持てたので

しょうか?それは、初めから叡智ある御方の手によって創造されたとしか考えられません。聖書はこの

叡智ある御方を、「全能主ヤハウェ」と紹介しています。ロマ書1章20節では「全能主の永遠の力と

天性は、天地創造以来このかた被造物において知られ続け、…真理を阻む人間に言い訳がたちません」


語っています。このように、鳥に仕組まれた飛ぶための仕組みは、創造主の永遠の力による叡智の表れなの

です。


(承)さて、私達が今住んでいるこの地球は、全能主による創造の初めから、完璧な秩序のもとで成り

立っていました。しかし、ノアの洪水以降、その秩序が歪み、創造の初めにはなかったあらゆる災害

(例、地震、台風、温暖化)が起こるようになってしまったのです。ですから、現在のこの地球は壊れ

掛かっており、完璧な秩序の下にはないのです。その事実を私達は受け入れる必要があります。また、

もう一つ「人間は生まれながらに罪人である」という事実も、受け入れなければなりません。つまり、

狂った地球上で、狂った罪人達が生きているというのが
現在の世界なのです。その証拠に、地上の争い

ごとは、文明が始まって以来絶えません。いくら皆で話し合っても、合意はご破算になり、必ず反対意見が

出て来て壊されます。即ち、人間が一生懸命、知恵を(しぼ)って問題を解決しようとしても、争いは

絶えないのです。私達はその事実を認め、(あきら)めるしかありません。
第Ⅱペテロ3章16節「無知で

心の定まらない人達」
とあります。即ち、自分たちで滅亡を招いているのです。そこで、私達自身も

「何とか自分の力で改めて、正しい行いをしていこう」と思うのですが、やはり罪人には、できないの

です。
その事実を悟り切って、全能主の前に「完全無条件降伏」するしかありません。


(転)そこで、全能主は、人間が「無条件降伏」して、下手に出るならば、そのどうにもならない者たちの

ために、救いの手を伸ばして下さいました。それは、人を罪人であることを分からせた上で、一方通行の

愛をもって、キリストによる救いを与えて下さったのです。それは、「お前が正しい行いをして、 良い

人間になったら救う」というギブアンドテイクの救いではないからです。むしろ、罪人である事を正直に

認めさせ、キリストの贖いによって、「お前を救おう」という、全能主の「一方通行の愛を表された」から

です。という事は、救いは、私達の努力や行いによって得るものではなく、上から降りてきたものを

信じて、(いただ)ものなのです。
それを私達は、素直に受け留めて喜んだ時に、救いがどんな尊いものか

分かります。ところが、多くのクリスチャンは、信じた後に「あんな人間になりたい」とか「こんな性格は

変えられたい」という御利益を追い求めて行くのです。即ち、「ただ信じて戴くだけでは物足りない」

という傲慢な思いの中に陥ってしまっているのです。それは間違っています。先程も申し上げたように、

この地上は壊れており、私達も罪の中に(あえ)いでいるものです。ですから、
この地上で、自分勝手な肉の

願望を達成する事は出来無いのです。それは諦めて下さい。
しかし、諦めて終わりではなく、救いの道が

あると知ったのですから、私達はそちらに心を向けて行くのです。即ち、どうにもならない罪人である

ことを承知の上で、私達を受け留めて下さった全能主がおられるのですから、ひたすら、その御方に心を

向けていくのです
。そして、「律法からも解放されている」という事が分かったなら、私達はすごく嬉しく

なって、肩の荷を下ろせるのです。その肩の荷を下ろした時の安心感と喜びと感謝の中で、主を敬いどこ

までも主を信頼して生きて行こうと歩み出して行くのです。すると、その安らぎと喜びの中から、「主の

為に何でもやらせて下さい」という献身の決意が生まれてきます。


(結)どうか、罪人の自分には一切頼れないという事を悟って下さい。そして、信仰に反する肉の思いに

(あらが)
い、まず、全能主の国と全能主の義を第一に求める心を、自分の信条にして下さい。私達に出来る

ことは、「こんな罪人を救って下さった全能主に対する感謝と喜びの心」を、どこまでも持ち続けて行く

ことです。そして、全能主が「わたしを信頼しなさい。わたしが成し遂げる」と言って下さったのですから、

その言葉を信じ、全能主に懸けるのです。どうか、このように私達の心を定め、
とことん全能主に信頼して

生きて行こうではありませんか。


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