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2023年4月2日

自分ありきではなく、全能主第一の一途な心を持って、
無条件で全能主に従い、全能主の御国に帰ること』

黙示録6:9~11


(起) 黙示録6章9~11節の御言葉から、「自分ありきではなく、全能主第一の一途な心を持って、

無条件で全能主に従い、全能主の御国に帰ること
」を学びたいと思います。


(承)
さて、6章11節では、殉教者の叫びについて記されていますが、日本でも多くのキリシタンの

殉教の記録が残されております。彼らは「自分が罪人である事実を知り、イエス様の贖いを頂いた

ことに
対する救いの望みを抱いて」命を閉じて行きました。まさに、彼らは黙示録に記されている殉教者の

ように
「全能主の言の故に、また、自分たちが堅く守り続けてきた小羊の証しのために殺された

人々」(6:9)
でした。そのような人たちは、日本だけではなく、世界中にいます。その彼らが

命を閉じてパラダイスに
引き上げられた時に、「聖なる、真理なる主よ。いつまであなたは、裁くことを

なさらず、また地に住む者に
対して、私たちの血の報復をなさらないのですか」(6:10)と、

叫んだのです。ところが、その叫びに
対する答えは、「あなた方と同じく殺されようとする仲間や

兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、
休んでいなさい」(6:11)ということでした。

「あなた方と同じく殺されようとする仲間や兄弟たちの数が
満ちるまで」ということは、この後、

もっとたくさんの殉教者が出る
ということです。13章では獣が出て
きますが、その時からクリス

チャンに対する迫害は激しくなって行きます。例えば、獣は、世界の頂点に君臨する女(大バビロン)

を滅ぼし、その後で、自分(獣)が世界を支配するようになります。すると、「獣に従って、手か額に

刻印を受けなければ生きて行けない」という時代がやって来るのです。ところが、この
獣の刻印を

受けた者は、全能主の激しい怒りのぶどう酒を飲まされ、火と硫黄の中に投げ込まれてしまい
ます。

ですから、私たちにとって逃げ場はありません。刻印を受けなければ、獣から迫害を受け、刻印を


受ければ、全能主の激しい怒りの葡萄酒を飲まされるのです。
しかし、そのような中にあっても、全能主の

戒めを守り、イエスを信じ仰ぐ心を持ち続ける者がいます(14:12)。彼らは、14章13節で

「書き記せ。
今から後、主にあって死ぬ者は幸いである。」と言われた人々です。即ち、最初にお読みした

「あなた方と
同じく殺されようとする仲間や兄弟たち」のことで、その数がここで満ちるのです。

そして、その後に生き
残っている聖徒達は、14章16節にある通り、空中に携挙され、天で「ああ、

感謝です」という全殉教者
たちの叫びが15章3節から出てくるのです。このように、獣の刻印を

受けず、獣に打ち勝った人々が、ガラスの海の(そば)におり、彼らは「絶対的な能力を持つ方にして、

主なる全能主」を賛美します。
ここに、獣に勝利した殉教者たちが勢揃いするのです。即ち、途中で

どんなに辛い目に遭おうが、最後まで
信じ抜いた聖徒の忍耐がここで報われるのです。


(転)
では、どんなに辛い目に遭おうが、最後まで信じ抜く聖徒なるために、(こん)(にち)

私たちにとって
必要な信仰の資質は何でしょうか
。それは、「自分というものから離れ、全能主を

第一にすることです。」
信仰を守り通すには、自分の考えや自分の思いに捕らわれず、「自分の命を

惜しみ、自分を守る、自分を
(かば)う」という意識から、離れなければなりません。即ち、「まず

全能主の国と全能主の義を第一にする」
ことです。その心がなければ、簡単に獣の前で転び、獣の刻印を

打ってしまいます。しかも、打ってしまって
からでは、もう取り返しはつきません。患難時代の中では、

曖昧な信仰は通用しないのです。全能主は
その者の信仰が本物かどうかを見極(みきわ)めるために、あえて

極限の所に置かれるのです。全能主は、口だけの
信仰者、頭だけの信仰者との交わりは、考えてはおられ

ません。なぜなら、全能主も本気の心を持って
イエス・キリストをこの地上に送られたからです。

ですから、イエスの救いを最後まで信じ続けた者であれば
全能主は天に迎え入れることができます。

そのような信仰者であれば、全能主は彼らをルシファーのように
傲慢な者になることを心配しなくても

良いからです。何故なら、彼らは全能主の言葉とイエス・キリストの
証しとに、しっかりと立つから

です。このように、小羊の証しを最後まで信じ通して行った者たちの記録が
黙示録の中には書いてあり

ます。
また、既に殉教した者たちだけではなく、これから殉教して行く者たちについても書いてあり

ます。だから、この書は私たちのために書かれた書なのです。


(結)このような訳で、私たちは「患難時代の中に入ったら、信じる心をはっきりさせます」という

ような、
暢気(のんき)なことを考えていてはいけません。私たちは、今現在から「自分ありきの考え方

から離れ、常に全能主
ありき」という、信仰的な考え方に立って行くべきです。即ち、自分から離れ、

全能主を第一にすることです
中庸(ちゅうよう)曖昧(あいまい)な信仰では、「勝利を得る者」とはなりません。

獣は大バビロンを倒した後、世界の王となります。
しかし、獣がそれだけの権力を持つことが出来る

のは、全能主の計画の中にあったことだからです。
全能主は、私たちの本物の信仰を見て、永遠の

御国の交わりに迎え入れようと願っておられるからです。
そして、全能主への尊敬と、へりくだりの

心を持った者を天に引き上げ、親しい交わりを持とうとされて
いるのです。どうか、自分ありきでは

なく、全能主を第一とする一途な心を持って、無条件で全能主に従
い、御国に引き上げられて、御父と

御子の交わりの中で憩う特権に、
預からせて頂こうではありませんか


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